浮気の罪の本質を考える

恋する婚活熟年

動画を見るのは浮気になるか

 浮気。
 既婚者がエチ動画を見ることは浮気になるでしょうか?
 これは議論のあるお題かと思います。
 
 エチ動画を見る時、男性の側には奥方に咎め立てされるかも知れない、そんな畏れがあると思います。後ろめたさがあると思うのです。
 
 しかしたいてい、奥方の方では実はあまり関心がなかったりするのです。
 男性側だけが警戒している、そんな男女差が普通だと思います。
 
 しかし女性の側がどう受け止めているかはともかくとして、他の女性の痴態を見ることはそもそも男性の浮気になるでしょうか?
 今は廃れたかも知れませんが、昔だってスXXリップ劇場というものがありました。ピむク映画というものだってありました。
 
 なにしろ他の女性を見て興奮しているのです。
 自分のパートナーを差し置いて。
 「だから浮気と同じ。」そういう理屈というのはあります。
 
 これは意外と古くて新しい議論だと思うのです。
 

 
 興味本位だけだ。だから早送り見てる?
 飛ばして眺めてるだけだ、って?
 自分の奥方と比べたりなんてしてない?
 あれは実際にはできないファンタジーを楽しんでるんだ、って?
 
 どんな言い訳をしたところで男性の側に性的興奮があることに違いないのではないか。
 
 
 すると、たとえ漫画でもそうなのではないか。
 たとえ実在することのない二次元だとしても頭の中のトキメキは自分のパートナーに対するものと同質ではないか。
 ならばそれは浮気と言えるのではないか。
 そんな理屈もあるのです。
 
 画面にはなまめかしく動いてカメラ越しに挑発している異性がいます。
 その人を見て興奮しているのです。
 それがたとえ紙やモニターに映ったものだとしても浮気と同じではないか。
 
 生身の人間が相手じゃなかろうと精神的には浮気と同じではないか。
 
 実は奥方というのはこの命題をスルーすることが多いものです。
 あまり問題にする奥方というのはいません。
 それは単に性的興奮の仕方が男性とは違うからだと私は思っています。
 
 男性はストレートな求め方をしますが、実は奥方とてタレントやちょっとした異性との接触に興奮することがあるのです。
 女性からすればそれを「浮気心」とは言われたくありません。だから彼らはあえて触れないようにしているのです。
 
 旦那様がエチ動画を見ているのに奥方が詮索しない、それにはそんな事情があります。
 ちょっと店の店員がいいオトコでときめいた、よくある日常です。
 しかし、それを旦那様が聞けば「おい、それは浮気と同じではないか」なんて咎め立てするかも知れません。
 だから旦那のエチ動画のことは見て見ぬフリをしてるわけです。
 
 だからこそイザとなれば言えるのです。
 「自分だって動画をみてたじゃない。」なんて。
 浮気というのは精神的なことということでしょう。 
 


浮気とは何か

 でも本質は違うのです。それは浮気とは何かということです。
 
 それが「罪」であるかどうかが問題なのではないでしょうか。
 結論から言えば、それが「関係の破壊」じゃなければいいということ、そう私は思うのです。
 
 あなたがパートナーとの関係を壊すつもりではないのなら、それは浮気であっても非難されることじゃないということです。
 お互いの関係を壊そうとするものじゃなければセーフw。
 
 きっと、それはあくまでも性的なもののはけ口だったのです。
 それこそ、極論すればどこで娼婦を買おうが、一夜の関係を持とうが、二人の関係を壊さないつもりならそれはセーフだということ。
 
 むしろ関係を壊さないよう、あなたは性のはけ口に第三者を一時的に利用したに過ぎないのではないか。
 
 同僚と寝てしまったとしても、一時の衝動に過ぎなかったならセーフ。
 燃え上がる恋だったとしても一夜限りのつもりだったらセーフではないか。
 
 
 つまり何が浮気に当たるかどうか、それを議論しても始まらないということなのです。
 その線引きはとても曖昧でしかないからです。あくまで当人の気持ちの問題だからです。
 セーラームーンに欲情した旦那はアウトなのでしょうかw。
 
 テレビのアイドルに恋焦がれる気持ち、それは、もしかしたら生身の女性に対するものよりも強いかも知れないのです。
 それを「浮気」というなら、どういう頭の中でいろということか、心の管理、そんなことになってしまいます。
 
 だから二人の関係にどんな影響を与えるものなのか、それをまず考えるべきなのです。
 
 そう考えると、別な場合、ダメな場合、「アウト」な場合も分かります。
 
 いくらフィギュア収集でも二人の関係を壊すならアウト。
 いくらアイドルでも二人の関係を壊してしまうならアウト。
 妄想だけでも二人の関係の否定につながる妄想だったらアウトなのです。
 

 
 結局、「浮気」かどうかがコトの問題ではないということです。
 
 これは「浮気は罪だ」、という単純なテーゼが誤解を与えているのだと思います。
 
 浮気の本質とは関係を壊してしまう罪かどうか、ということなのです。
 
 だから眺めているだけでもダメな場合があります。
 エチ動画を見て「ああ、俺の彼女がこういう感じでいてくれたらよかったのに。」
 そんなことを考えてしまうのはいけません。
 
 二人の関係にそんな別な女性のことを持ち込むことは二人に関係の破壊につながるからです。してはいけない考えなのです。
 それは相手を否定し、関係にヒビが入ることにつながります。
 「考えるだけでもダメ」、そういう場合だってあるのです。
 
 「浮気は罪だ」、という言い方を正確に言い換えれば、その「罪」がいけないということになります。
 すなわち二人の関係を壊してしまう罪です。
 
 それは相手を傷つけ自分を裏切ることになります。
 二人で過ごした歳月、思い出をダメにしてしまう。そんな「浮気」がいけないということの本質なのです。
 

浮気の質

 浮気。
 「相手が誰でも『遊び』などと考えて俺は人を弄ぶようなことは自分はしていない、だから俺はいつも「本気」だ。」
 そんなことを主張する男性は決して珍しくありません。
 
 「俺は軽々しい気持ちではしていない。」、必ずそんな男性がいます。私も他ならぬその一人かも知れませんw。
 
 しかしそれは浮気の質の議論に過ぎません。
 どんな浮気であったのか、という中身の話でしかない。浮気の本質であるその罪の話ではないのです。
 
 これを真面目な浮気として、本気の浮気だ、そんなことを言う男性というのがいます。
 
 つまり「パートナーへの裏切りでは決してない」という弁明なのです。
 それは人間として必然なことだったのだ、と。
 しかしそれはあくまで「質」の話でしかありません。関係を壊すつもりがあったかどうか、その意識の方がむしろ問題なのです。
 
 
 真面目な浮気であってもパートナーとの関係を壊さないつもりだったかどうか、その方が第一です。
 こちらには長年の連れ添ったパートナーがいて大事な関係なのだ、と、私は家内との関係を壊したくないとあらかじめお知らせしたものでした。私はそれを恥じてはいません。
 
 惚れようがハレようがw、関係を壊さないことが大事なのです。
 軽々しく異性を性的なはけ口にできるか、そういうことができるか、あるいはしないかはその人それぞれの性質の問題でしかないのです。
 浮気の本質とは別なのです。
 



 私の場合を振り返れば、
 動画を見るにしても家内と同じタイプの女優はつい避けてしまいます。興味の対象から外しています。見ても醒めてしまうのです。
 演出にしても、少しでも家内と似た部分があれば見れません。それこそ喪服姿のストーリーなんて見るのも嫌です。
 
 もちろん「嫁がこういうことをしてくれれば」、なんて妄想はしません。
 営みというものは双方の波長が合うことが大事。つまり相手次第です。家内が少しでも嫌がる顔をしたら私は萎えてしまいます。
 
 性的情動に過ぎないとしても、関係を否定するような要素は二人の間には持ち込みたくありません。
 
 だから結果として貧乳なんかを見ることが多い。家内は胸の大きい人だからです。
 すると家内からは咎め立てされることがある。
 誤解されてしまいますw。
 
 「ホントは胸の小さい方が好きなんでしょう!」なんて(笑)。
 それは私の笑い話ではありますが。
 

二人の関係を壊さないこと

 どんなことが二人の関係を壊すことになるか、一緒にいればたいてい互いにその呼吸は分かるようになってゆきます。
 人間同士が付き合えば自然と分かるものです。
 二人の関係にはそうして収斂するものがあります。それを「絆」と言うのかも知れません。
 
 奥方の側が「とにかく他のオンナを見るのは許せない」、もしそんな方だったら動画でもダメでしょう。
 そんな潔癖気味の方はいるものです。そんな奥方を相手にすればどんな言い訳もできません。
 まあ、そうして旦那様を縛ることで性の奔放を制限してしまうのですから、それは奥方にとっても損になります。それが分からない方もいるものです。
 
 あるいは、「他の女性と旦那がクチを利くだけでも嫌」、そんな人さえいます。
 そこまでいけば関係は常に壊れやすいものです。「男女関係や結婚に向いてない女性」そんなことになってしまうかも知れませんが。
 
 
 それでもし他の女性と寝てしまった場合、普通は弁明をすることで許されるものです。
 その際、「関係を壊すつもりはなかった」ということが弁明の一番のポイントです(笑)。
 
 もちろん、動画をコッソリ見てたからって家庭を壊すつもりなどないのですw。
 



 
 これに対し、肉体関係がなかったとしても二人の関係を壊しかねないことはあります。
 結局それは浮気に近い罪になります。れ
 例えば他の女性や母親と奥方を較べてしまったり、男性が自分の理想像を相手に押し付けてしまうようなことです。
 こういうことは厄介な傷になりがちです。
 それは奥方にとっては自分を否定されたようなものだからで、関係のダメージは深いものがあります。
 
 浮気でも動画鑑賞でもなくとも二人の関係にとって危ういものというのはあるのです。
 
 しかも、こういうことは実際に誰かと関係したとかスナックのマッチがポケットから出てきたとか具体的なことではありません。
 そのため、男性には「罪」という認識を伴わないことも多い。だからいつまでも燻ってしまうものです。
 
 「小さなことでいつまでも恨み言を言われる。」、なんて、いつまでも奥方の不満が理解できない旦那もいますが、女性の側の受けたダメージには歴然としたものがあるのです。 
 時間が経つほど修復が難しくなってしまいます。
 
 「マザコン」、「モラハラ夫」なんてのもそうしたところからヒビが入ってゆくものかも知れません。
 
 例えば私の場合はモラハラではないですが家内を怒ることはありますw。
 同じ間違いを繰り返したり危険回避を考えなかったり、人の気持ちを考えられなかったり謝れなかったり、間違ったことだから叱る。怒る。
 それは家内ができないこと、家内の性格ではやりようもないことを一方的に押し付けているわけではありません。
 
 つまり相手を否定するようなことをしてはいけないのです。
 「パートナー関係」というのは相手がいてあって初めて成立することです。
 二人の関係を壊さないように注意できるかどうか、そこが大事だと思います。
 
 
 ちなみに一般的に言えば「浮気」よりも「不倫」の方が罪深く聞こえるものです。
 それは裏切りというニュアンスがありますし、夫婦関係に割り込んだ別な男女関係だからです。
 それは夫婦関係を壊す可能性があるからです。
 しかもたいていの不倫劇はそれを分かった上でやっている。だから罪となります。
 
 「家庭が壊れるのも覚悟している」、だからパートナーを傷つけています。そんなところに不倫の罪があると言えるでしょう。
 浮気なら「一時の気の迷い」で片付けられる場合が多いものです。
 

浮気の罪でなく破壊の罪

 すなわち「破壊」というのはすべからく「罪」になるのだということです。
 それは何もパートナーとの関係だけでもありません。
 
 「破壊と創造」なんて言って美化されることがありますがそれは間違いです。
 一瞬の刹那でも何の存在にしても、これを否定することはいわば神に背いていることになります。
 
 神はあらゆる存在を否定しないはずだからです。
 神は破壊をしないでしょう。
 神は頃すことを許しません。ですから殺人や戦争は罪なのです。
 
 だいたいそもそも、全能の神が失望し、消し去ってしまいたいと思うような関係や世界など創るはずもないのです。
 「破壊」、私はどうしてこれが宗教的な「大罪」に数えられないのか不思議でなりません。
 ここでは「神」としていますがそれは仏でも何でもそうです。人間本来にとって破壊は罪なのです。どんなものでも破壊してはならないということです。
 
 築いてきた家庭や夫婦関係、パートナーとの関係を破壊することは自分を破壊することにつながります。
 巡り巡ればそれは自分への裏切りになる。自分を傷つけることになります。
 自分の存在を否定する存在は理屈としてはあり得ません。すなわち許されないことです。
 
 それこそ、言えばパートナーとの関係どころではありません。
 そこは信頼、真実、希望、礼節、思いやり、何でもあります。
 全てのことを壊すことのないよう私たちは細心の注意を払うべきなのです。
 

 
 極論すれば、破壊することがないのであれば動画に耽ろうが女郎買いに走ろうが構わないのですw。まあ、そこは奥方次第ではありますが。
 
 例えば夫婦間のケジメのために別な女性と色を遊ぶというのは理解できる話です。昔はそれこそよくあったことでした。
 自分の奥方相手にはしたくないことをしたくなることもある(笑)。奥方が大事だからです。代わりにカネを払ってしてもらうのです。
 
 
 深夜、動画を見ている旦那様のことを奥方は笑って許しているでしょうw。
 それは別に奥方の慈悲からではないのです。
 旦那が関係を壊すつもりがないから安心して笑っているのです。
 なかなか理解しにくい男性のことを優しく見守っているのです。
 男性というものはなんてつまらない性衝動すら抑えられないものだろう、と。
 
 
 浮気というものをどうこう妄想する。浮気されたらどうしようとか、エチ動画を見るのは浮気になるだろうか、そんなことを考えるよりもパートナーとの関係を壊さないかどうか、そのこと考えるべきなのです。
 浮気が罪であったりそうでなかったりする、世間のそんなことを見ていれば誰しも混乱します。
 そうして愛というものが分からなくなってゆくのです。
 
 
 いったい何が罪なのか、ということ。
 「破壊こそが罪である」そのことを知るべきなのです。
 
 だからこそ人は破壊が罪になるような、そんなかけがえのない関係を求めるのです。
 それが婚活ということであり恋愛ということです。
 
 そんな人間本来の自分を取り戻そう、真正の人間となれるようと、人は相手を求めるのです。
 それは決してそうなれば破壊しないからに他なりません。
 
 出逢った最良のパートナーとの関係は決して破壊できないものなのです。それが求めてきた本来なのです。
 
 破壊することなど考えようもない創造的な関係を求めて私たちはパートナーを探しています。
 だから「恋愛」というものがいくつになっても大事なのです。
 そうなることで私たちは人間らしくなれるのです。
 



 by 婚活係長


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