外見に気を遣っても期待はほどほどに

男女の気持ち色々

人は見かけより中味か

 私はヒゲ面で若い頃を長く過ごしました。
 
 「おとがい」のところ、いわゆるアゴ髭は絶やしたことがなく、気が向けば口髭さえ生やしてみたものです。いい加減な無精髭でいることも多かった。
 
 トンガっていて生意気でいつも気を張っていた。
 体面だけ取り繕うようないい加減な人間、愚かな人や怠け者が昔から嫌いでした。
 曲がったこと、卑怯者が嫌いなのは今でも変わりません。
 
 そうして、「見てくれではなく心を見て欲しい。」、なんて密かに思っていたものです。
 髭を生やしとけばどうしたってそうなるだろう、そんな気がしたのです。
 わざわざ自分を髭面にして、外見を気にする連中を密かに私は意識してました。
 そんな外面の見栄えばかりを気にする連中を内心では鼻で嗤ってた。
 
 しかし、それは人に対する期待の裏返しだったかも知れません。若い頃は他人に期待するものがあったものです。
 私は他人との信頼関係や絆というものを求めていたのです。
 
 大きな資産があったりする人でも、まるで乞食のような格好をわざとしている人がいます。自分の外見に騙されるかどうか、他人を試しているわけです。
 そんな人がいるものです。
 人間は中味である、だから格好や顔で人を判断する人間など信じられない。そうした真正な心があってこその信頼関係だ、そんな考え方があります。
 億万長者のくせにボロを着続けていた、なんて話がありますがそれもそんなことからでしょう。
 
 「ボロは着てても心は錦♪」 昭和のヒット曲があります。
 そんな歌謡曲もどこか胸に引っかかっていたかも知れません。
 その時代、日本人の琴線に触れた歌だったと私は思います。人間は心だ、なんて。
 「金色夜叉」なんて物語もあります。
 寛一とお宮の物語、お前は金に目が眩んだと、恋人を咎めるというお話。
 
 心こそが大事だとする、そんな時代の考え方です。私の若い頃は時代の影響も強くあったように思います。
 

 
 そういうことがちょっと見当外れだと理解できるようになったのはずっと歳を取ってからのことです。
 
 それは今更の話でした。歳を取ってみて、そうした考え方は独りよがりなものでしかないと分かるようになったのです。
 人間はある程度は常識にかかるような風体をすべきこと、見栄えはただのエチケットに過ぎないのです。
 人を見かけで判断するのは理不尽です。しかしむやみに人の愚かさに反発してもしょうがありません。
 実際、私は格好ばかりを気にして中身のない伊達男たちが嫌いだったのであって、わざわざ自分の風体を無頼風にする、そんな必要はなかったのです。
 
 それに、人が信頼できるか、そんなことを無闇に試すべきではありません。
 信頼というのは試して分かるようなものではありません。いざという時、その時になってみないと人というのは分からないものです。
 
 また、たとえ自分に心眼があって人物を見極められるのだとしても、それでどうだというのでしょう。
 他の人が誰でもそんな眼があるとは限りません。能力がないばかりに見かけだけで人を判断してしまう人も多いものです。そんな人を愚かな人だと切り捨てたとしても何の得にもなりません。
 時には人を利用すること、人を巧く使うことも必要です。
 その人を支えてやり、上手に動かしてやることは自分の利益につながります。
 つまりある程度は自分より劣った人に合わせることも必要だということです。
 それがエチケットのようなもの、一種の規範、その本質です。
 
 だいたい、相手に対しての配慮ということもあります。
 汚い格好や無精髭の髭面と一緒に歩かされる相手も困る。
 そんな配慮がまるで見られない人はハタ目から自暴自棄にさえ見られることがあります。他人を突き放した態度、そんな風にも受け取られかねません。
 
 女性だったら化粧ぐらい少しはしてた方がいいのです。男性なら髭ぐらいは当ててほどほど清潔にしていた方がいいということです。
 自分をケアしているかどうか、それは心のゆとりの現れでもあります。
 鏡ばかり見てカッコばかりでは困りますが、自分を大事にできないような人では困る。
 要はさりげない清潔さ、ほどほどに見かけに気を遣うということです。
  
 見かけというのを考えることもそこそこ大事なものなのです。
 


髭面に失望される

 若い頃の私には恋愛につながる出逢いというのがほとんどありませんでした。
 常にバタバタとあちこちを走り回り、何かしらやっていた。毎日が足早に過ぎていきました。
 
 私が対峙する相手はみな男、あるいはみなが競争相手です。
 この社会というのは男性中心です。男性的なものが幅を利かせています。それは女性を登用するにしても同じこと。変わりません。
 甘えは許されない。
 
 毎日が他人とせめぎあうばかり。落ち着いて恋愛している暇などありませんでした。
 いつも何かを渇望し、成果を上げることに私は熱中していたのです。
 
 そんな時でも、たまに出逢いのチャンスが振って沸くこともあります。
 知人から女性を紹介され、「会ってみないか」なんてこともありました。
 予定の都合が付けばと、たまたま会ったことも何度かあります。
 
 そんな時の記憶のひとつで、少し年上の女性を紹介されたことがありました。
 待ち合わせの場に私が現れると、厳しいひと言をおっしゃったご婦人の表情は忘れられません。
 指定されたところに行ってみると、どうやら相手らしい人がいた。
 近づいてゆく私を見て、私が当人と分かったのでしょう、しかしひどく落胆した表情をしてみせて彼女は少し大きな声で呟いたものです。
 
 「嫌! 何ですか。その無精髭は。」
 

 どんな脈絡で紹介されていたのか、ともかく私の髭面は話と聞いていたのと違っていたようでした。
 その女性はひどく大げさなお洒落をしていた印象を受けました。
 目元も化粧が濃く、アイシャドウではっきり眼の輪郭が描かれています。紅は真っ赤に近くて、鼻筋も頬も、何重にもお化粧が塗られているように見えました。
 話に聞いていたよりずっと年上に見えたものです。
 なんだか下品な、オトコ日照りのような感じさえしたものでした。
 
 ともかく、彼女は私を見るなりそう呟き、まるで怒ったようにして、そのまま帰ってしまったのです。
 とりつく島もありませんでした。こちらに説明も挨拶すらありませんでした。
 
 この時「なんだ。おかしな人だ。こっちこそ心外だ。」なんて、私は強がりしたものです。
 いいさ、やはりこういう髭面を認めてくれる人がいい。
 そんなことを思い、改めて私は髭面でいようと誓ったものです。まあ、無精髭にはなるべくしないようにしてましたが。
 
 老婆と言えるような年齢になったかつての大女優やタレントさんがいます。ちょっと前のバラエティ番組にはああいう人々がひどく厚化粧をして出て嘲笑のネタになっていたものです。
 外面に気を遣いすぎてお化粧が変なことになってしまってる人たち。
 あれから何十年、彼女もあんな風に歳をとられたのか、どうか。
 あんまりの厚化粧。そうなるとまたおかしなことになってしまいます。
 やはり外見への気の遣い方には程度がある、それは他社への期待と似ている。そんなことを振り返る私の思い出です。
 

髭面を気にしないヒト

 私は懲りずに髭面を続けました。
 だから私が付き合ってきた女性はみな髭面を気にしない人です。
 
 だからって「髭面が好き」という人でもなかったでしょう。ただ、みな細かいことを気にかけない人だったように思えます。
 大らかでゆったりした女性ばかりだった。
 みな幸福な時間を私にくれた人です。
 振り返っても彼女たちには感謝しかありません。
 
 そうして今の嫁と出逢い、これまで長い年月を一緒に過ごしてきました。
 もう随分と一緒に暮らしてきた。
 二十年以上、そのぐらいでしょうか。
 嫁も私の髭面をまるで気にかけませんでした。伸び放題の無精髭にしていても何も言わなかった。まるで気にしてないようでした。
 私の方も、嫁と一緒に暮らすようになってからは鏡を見ることを忘れるほどでした。
 
 そうして歳を重ね、とうに自分のアゴ髭にこだわりなどなくなった頃でした。
 ある時、ちょっとした社会的な行きがかりがあって、私は決意表明のためこのに髭面をさっぱり落としてしまった。
 それから今はもう髭は生やしてはいません。無精髭もありません。
 
 周囲の人は驚いたようでした。
 しかし私は何の説明も釈明もしなかった。
 みな遠巻きにして黙っていた。
 こういうことは話題になるものではありません。人の顔の傷や面相について口に出してしまうような人は迂闊というものです。子供っぽい人。
 人の顔ついて言うことはできないことなのです。
 結局、外見にとらわれがちであることを暴露してしまっているようなものです。
 
 そんな周囲の反応もあって、むしろよいタイミングで髭を落とせたと私は思ったものです。



 しかしその髭を落とした時も嫁はアタシに何も言わなかった。
 「どうしたの?」、なんてことはなかった。様変わりした私の顔に突っ込むこともありませんでした。
 鷹揚なのか無頓着なのか、どうか。
 クチには出しませんでしたが、逆にそれだけ嫁にはちゃんと意識があったのか、そうは思ったものです。
 
 私はゲップもよくしてしまいます。
 家内の前で出てしまい、行儀が悪かったなんて思うことがある。ちょっとバツが悪い。
 しかし家内に詫びると「気にならない」なんて言う。
 そんなものかと私は驚く。西洋ではマナーが悪いと言われているのに。
 もちろん家内の方はやらないのですが(笑)。
 
 大らかであまり気にしない嫁のように思えます。
 でも何か感じてるところがあるように思えないでもない。ただ、いちいちクチに出しては言わない。そういうわきまえが彼女にはある気がします。
 私にはそんな嫁です。
 

外見の受け止め方

 女性というのはよく髪形を変えたりすることがあります。
 そのことに気が付いてあげれば女性は喜ぶものです。女性は髪形の変化に気が付いてくれることを密かに期待しているものです。
 髪のツヤを褒めるだけでも女性は喜びます。
 
 逆に変化に気が付かなかったり、クチに出して褒めてあげないと怒り出すことさえあります。
 男性の側は女性のことを気にしてあげてないといけませんw。
 それは「外見」というよりも、もうちょっとさりげない部分についてのことなのです。
 着ている服の趣味を褒めるとかアクセサリーを褒めるとか、そういう「外見」ではありません。
 髪型とか、お化粧とか顔色、さりげない部分でのお洒落についてです。
 
 まあしかし、「太った?」、なんて言われてもやはり女性は気に入らないものです。
 要するに「いつも褒めていてもらいたい」ということです。女性にはそんな傾向があります。
 ただその褒める外見を間違うと妙なことになってしまいます。
 「別にブランドなんだからアタシを褒めてるわけじゃないじゃない。」なんてことになる。
 
 男はというと、似ているようでいて同じではありません。
 太った、痩せた、禿げたという話です。
 どれも言われると男性もグサリとくるものです。しかしそれはちょっと女性の場合とは違う意味でグサリときているのですw。
 
 オトコの価値は見栄えではない。そんなことを男性は考えがちだからです。
 特に親密な相手であれば割り切ることは少なくなります。相手は自分の価値をちゃんと認めてくれているのか、と心配でなりません。
 だから男性が外見のことを言われると何か癪な気がしてしまうのです。どこか心外です。
 別にそれは外見を気にしているからではありません。そんなことを気にする視線が不満だというわけです。
 そのくせ男は女性に一定の美醜の基準を持ってたりするものですが(笑)。
 
 ちゃんと健康やストレッチ、そんな話題として入れば何でもありません。
 太っただの禿げただのはそういう話題となれば男性にはタブーでもなんでもありません。
 要は「外見にこだわった話」でなければいいのです。コンディションの話なら男性にはよいのです。
 



 
 ところで、私は嫁の嫉妬心を感じる時があります。
 昔から私が他の女性を一瞥するだけでも怒ることがありました。
 その勘の鋭さには随分と苦労させられたものですw。さりげなく他の女性をなんとなく眺めててもすぐにバレてしまった(汗)。
 私の不埒な視線に嫁はすぐに気が付き、頬っぺたをよく膨らませたものです。
 
 熟した今では多少は丸くなったようですが、世間的な噂話でも、タレントやミュージシャンの話にしても、やはり嫉妬心からか変に引っかかることを言うことがあります。
 ユーチューブを聞いててアタシが見ていたら「スティービー・ニックス」に嫉妬されたことが最近もありましたw。
 「やっぱりあなたは金髪が好きなのよ。」、なんて、酔った勢いでひどく絡まれた。
 
 いや、しかし「金髪」ってのもまた「外見」じゃないのです。やはりそれもブランドバックのようなものです。あまり意味はありません。
 それに実は金髪にはダメな女性が多いものです。モデルやタレントでもわざわざ金髪に染めているのはちょっと残念な人。
 金髪に染め、それに頼っているぐらいですからおかしなのが多い。
 実際、黒髪、ブルネットの方がずっといいのです。しかし家内は私が金髪趣味だと言ってなじったw。
 そういう外見の違いが嫁には分からないようです。
 
 私が女性店員の噂話をするだけでも機嫌を悪くすることがあります。
 そしたら、ちょっと気が付いた。
 髭面だった時は私が他の女性に話しかけてもあまり気にした風はなかったのを思い出したのです。他の女性の話をしても嫁は反応しなかったものです。
 髭をすっかり落としてからは「何を話してたの?」なんて、さりげなく聞いてくる。
 こっちはくだらない話を説明してもしょうがないと思ってしまうから「何でもない。」なんて言いますが家内は不満そうです。
 しかし若い頃、クラブなんかに嫁を連れて行き、そこの女性を紹介してもまるで気にした風ではなかったのです。
 モノ欲しそうに他の女性を見るのを咎められたぐらいでしたw。
 
 
 振り返れば私の髭面はちゃんとしたものではありませんでした。
 ただ伸ばしていたというだけです。無精髭でいることも多かった。
 普通は髭を生やすというなら「お洒落」ということになります。
 だからちゃんとケアをして刈り揃えたり手入れをするものです。きっちり刈り揃えるための専用のハサミや髭のケアのためのセットなんかも売られています。
 私の場合はただ伸ばしていただけでした。
 さすがに仙人のように長く伸ばすのは嫌ですから、伸びすぎたらカットしたぐらい。そのぐらいです。
 ロクに手入れした髭ではなかったのです。
 
 今から思えば、嫁が私の髭面を許していたことには意味があったのではないか、そんなことを思うのです。
 こんな髭面をしてたら他の女性にモテようもない、安心だ、そんな目算があった気が私はするのです(笑)。
 金髪趣味なんて言った嫁は他人の外見に無頓着というわけではないのですから。
 

ほどほどの清潔感とさりげない無精髭

 本当に「髭面は浮気止め」になるのでしょうか。
 もしかすると多少はそんなことが言えるかも知れないと私は思っています。
 試してみるといいと思います。
 
 男性が女性を、つまり自分のパートナーを「自分のモノ」みたいに思ってしまうように、女性もまた夫やカレのことをそんな風に思っています。
 言い方は違うでしょうが「自分のカレ」、「自分の旦那」などと女性は思っています。
 そうすると髭面なんて格好の煙幕になると思うのではないでしょうか。
 あんまり他の女性と不用意な接触をされても困ります。髭面がそのガードになるわけです。
 
 もしこの仮定が信じられるなら言ってみるといいかも知れません。
 付き合って暫くした頃、あるいは結婚して暫くしてみたら、男性の方から言ってみるとどうでしょうか。
 「ちょっと、髭でも伸ばしてみようかな。」とw。
 かなりの確率で女性の方は歓迎すると私は思います。
 「いいんじゃない?」なんて(笑)。
 そんなリアクションが返ってくると私は思うのです。
 
 男性なんて出逢いがあるとどうしても心を動かされてしまうものです。男性特有の浮気の虫というのはあるものです。縁があるとつい引きずり込まれてしまうことがあります。
 それが髭面で防止できるなら安いものだ、そんなことを女性は考えるかも知れません。
 
 それに一緒にいるのです。奥様は旦那さんの外見にとっくに慣れているわけです。
 そうなればやはり日々の内面が問題となります。外見でなく内面が問題になるのはむしろ深い関係になってからのことです。
 優しくしてもらいたいし、思いやりを持っていてもらいたい、なにより楽しく一緒に過ごしてくれることが大事だ、と。
 
 髭ぐらいどうでもいい。外見はもはやどうでもよくなっているのです。
 いちいち外面を気にする旦那さんだったら奥方には疎ましいでしょう。カッコばかりつけていたら何のためかと不審がられるものです。
 だから髭面にして他の女性から煙たがられても、むしろそっちの方がいいではないか、と。
 そんな深謀はあってもおかしくないとアタシは思うのです。
 

 
 すると男性側にしても、無精髭の髭面がモテている、流行かも知れない、そんな勘違いは止めた方がいいかも知れません。
 ちょっと前から最近まで、ハリウッド男優はやたらと無精髭が多くなったものです。妙にヒーローに無精髭が多い。
 あれだってそういうことかも知れません。
 あれが最新のファッションであるとか流行っているとか、そんな意味ではないと私は思うのです。
 
 女性から無意識に好感を持たれるような演出だと私は思うのです。
 髭に頓着しない男性ということはあまり異性を意識していないということです。いちいちカッコをつけるような人ではない。
 つまり女性関係に軽い人ではないということです。すなわち浮気性でない無骨なキャラクター設定ということになります。
 そこに好感が持たれる伏線が作られているのではないか。
 無骨なヒーローはかっこいい。ツンデレならヒーローらしく信頼に足りるのです。そうして恋愛へと発展する、ヒロインが恋に落ちるのです。
 
 だからそれは外見とはまったく別な意味です。
 こういうことは男性はあまり気が付いてないように思えます。
 ちょっと映画がヒットすると真似をし出すような人がいます。無精髭に市民権が得られたなんて、勘違いでやってしまう人も多い。
 むさくるしい無精髭面の熟年男性も多いものです。流行に乗じて怠けているつもりでしょうがちょっと違うと思います。
 
 だいたい無精髭は何も伸ばし放題にするわけじゃありません。
 無精髭というのは按配が難しいものです。入念に計算してやっているものです。
 そこそこの自然な感じを演出しています。ある程度伸びてボウボウではないところ。剃ればすぐにスッキリするその僅か手前のところです。
 「さりげない無精髭」ということです。わざわざそういうメイクを「作っている」のです。
 それは映画だからのお話w。
 無精髭なんて、映画のヒーローだからできることなのです。
 
 そもそも、外見があるとしてもまず付き合うようになってからのお話です。
 まずは最初はさりげなく自然な感じ、清潔にしていればいい。
 神経質にならず、ほどほど、あくまで自然な普通の身だしなみに見えるというところがミソです。
 脱毛処置や男性の化粧など、そんなことをやりすぎると清潔感ではなく嫌らしさになってしまいます。
 わざと無精髭にするならそれはそれで大変です。さりげなく見えるよう入念な配慮が必要になってきます。
 
 でも、どちらも内面とは関係がありません。自然な感じということです。
 誰も面相について言及することはないのです。持って生まれたままの顔、自然な外見ということが大事です。
 それに最初の出逢いから心を評価してもらおうなんて図々しい、虫がいいというものです。
 しかし特に男性にはそんな他人に対しての期待がどうしてもあります。
 出逢いの前から女性に期待してしまうところがどうしてもある。
 そういう期待も「ほどほど」がいいのです。
 



 by 婚活係長


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