例えば、恵まれた老齢の婚活というものがあります。
シニア、熟年の婚活の場合、子供が欲しいとか自分を支えて欲しいとか、そうしたものはありません。さっぱりとした純粋な出会いを探す婚活になります。
生活に困っているとか、独りでは生きられない不安があるとか、お互いがそんな身の回りに心配事のない婚活というのがあります。
資産もあり、子供たち同士のしがらみもないように見えます。
そういう恵まれた人たちの場合、どちらも死別などで独り身です。
そうして第二の婚活をして相手を探し、知り合ったりするケースがあります。
子供はとっくに独り立ちしていてもう遠慮はいりません。
相手も同様で、お互いに対等の関係、パートナーとして楽しくお付き合いを始めます。
若い世代からすればとても恵まれているように見える婚活です。
しかし自分は好きにやっているつもりでも、そのうち、お付き合いは親族に知られることとなります。
その時、意外にも、「みっともない」とか、「何をいまさら」などと反対の声が必ずどこからか出てくるものです。
ご本人たちはとまどうばかりです。
親族や子供たちはなぜか自分が寂しいことを理解してくれません。
そんなご本人の気持ちより、彼らは資産、遺産のことが気になり始めているのです。
親族たちには当人の充足より、そちらの方がよほど大事なのです。
そうして自由にやれるはずが、お互いに親族や子供たちにバツが悪いものだから、そのままズルズルと事実婚状態になることになります。「お付き合いをしている」程度なら周囲は黙ってくれるものだからです。
結婚を前提とした第二の婚活だったつもりなのに、他に障害はないはずなのに、事実婚から先に踏み切れないことになります。
それで一緒に暮らすようになっても、惰性でそのままです。
二人で暮らせば楽しいのだからと、そのまま。
「籍を入れても何も変わらないから」なんて言い訳をして、どちらも結婚へ踏み込みません。
旅行をしたり外食をしたり、二人で遊んでいるだけ。「ふたりの暮らし」というのはそこにはあまりありません。
いい年齢ですからお互いに資産があったりします。二人が力を合わせればそこそこ豊かな暮らしのはずですがそれがありません。二人で協力して周囲に対応しようとする勇気がないからです。
相変わらず資産はお互いの個別管理というわけです。
そしてこんなケースではお互いの資産については見てみぬフリをしてしまうことが多いものです。小さな欺瞞がずっと続くことになります。
そうするとどうなるか。
例えば持ち家があってもお互いの家を放ったらかしにして二人の新居に住んだりします。
持ち家は空き家状態のまま。まるで別荘のようにダラしなく放置されてしまいます。
家はどんどん傷みますし、売ることもしない。
売れば資産の処分が始まったと親族や子供たちに波風を立てることになります。だから放置。コストばかりかかります。
結局、二人は自立した大人でありながら、周囲の体面を気にして何もしないし、できません。
だらしない状態でまるで子供です。将来のことなど何も見えてきません。
だから、親族はますますそんな状態に口を出してくることになります。
お互いの家や資産はそれぞれ伴侶がいたから得られたものです。その伴侶が亡くなってしまえば管理する責任しか残りません。後を相続する親族や子供たちのために管理するというだけになってしまいます。
ここで再び婚活を果たしたのであればまた整理が必要になります。
周囲の反対や視線は強くなりますが、以前の暮らしから新しい暮らしへ始めようというのですから資産を新しい暮らしに合わせて組み直さねばなりません。摩擦は当然のことです。
しかし新しい二人が共同してこれに向き合おうとしない場合は多いものです。
処分どころかメンテナンスひとつ、何かひとつでも動かそうとすればお互いの資産のことに立ち入ることになってしまいます。
だから、なんだかお互いに言い出せず沈黙してしまいます。
親族たちが資産のことを露骨に気にもしているのです。
だから、自分たちも相手の資産のことを気にしていると思われそうで、お互いに遠慮してしまい何も言えなくなってしまいます。
そうして、お互いにまるでないもののように無視してしまいます。
結局、そのまま放置。
親族にとっては好都合に思えます。このまま資産には手をつけないでいてくれれば、なんて思っている。
ところが実はそれが親族や周囲にとってもどうしようもない泥沼になったりします。
マンションなら修繕見立て金、かさむ管理費、別宅や別荘のように放置したままにする余裕などなくなってきます。やがて巨大な負債、お荷物に化けてしまうかも知れませんし、金融資産にしたって売り時に売れなかったなんてことになってしまいます。
無駄が無駄を呼ぶだけ。
そんな風に思考停止になって、悪いスパイラルに陥ってしまうというのはシニア以降の出会いではよくありがちなことなのです。
だいたい二人で暮らし始めたとしても、突然に介護なんかが発生すればどうなるのか。
それも話し合われることはまずありません。周囲もそんな問題には立ち入ろうとしないでしょう。
どうして籍も入れず、そんな状態でやっていけると思えるのか。事実婚でなければ二人で協力して資産の整理をし、二人のために作り直すことができるはずです。
もともと、二人は最初から事実婚を選択してきたカップルではないのです。
だからそんな状態に慣れているわけでもありません。ただダラしなくしてしまったというだけ。
第二の出会いをそんな風にダラしなくしていれば様々な問題が生じます。
自由だなんて思ってもがんじがらめ、やってることはオママゴトのレベル。
そうして親族らは冷ややかな目でみている。 恥ずかしいしまるで楽しくない。これまでの人生さえ振り返れない。
こんな終わり方、こんな終活になるぐらいなら独りの方がマシだ、なんて、そのうち後悔さえするようになります。相手との関係さえギクシャクしてくる。
寂しい寂しい、と、感情的なことだけで飛び出したり出来るほど自由ではないのが熟年、壮年というものです。もう若くはないのです。
ちゃんと大人として説明できるようでなければいけません。しかし二人で協力して周囲に対応するということがたいていはできません。
結局、新しい出会いには失敗し、別れて親族のところに転がり込んでも、今度はボケ老人のように扱われてしまいます。
もう二度と失敗して欲しくない、などとクギまで刺されてしまう始末。
そしてもう婚活なんてと、その元気もなくなってしまうほど消耗してしまいます。
「三界に家なし」という言葉があります。どうかこの言葉を思い出してください。老いては子供に従え、なんてあまりに勝手な話です。こちらの気持ちなど誰も分かろうとしない。
あまりに惨めです。
老齢の婚活というものには途方もない覚悟が必要になります。
これまでの人生、これまでの生き様が試されるのだということ、それは高齢者の婚活では特に覚えておいていただきたいことです。
そして高齢者の婚活ではどうしても事実婚になりがちということ、新たな出逢いがあったのであれば必ず子供たちや親族との関係を改めてはっきりさせる必要があるということ。これを知っておいていただきたいと思います。
事実婚になりがちだという傾向はあまりいいこととは言えません。
これまで申し上げてきたように、親族や資産などについて話したり、財産の整理についてお互いが話せるようでなければいけません。
でなければ、シニア以降の婚活につきものの様々な困難を乗り越えることは難しいでしょう。
巷間言われていることとは違うと思われるかもしれませんが、子供や親族というのは独り立ちしたり別に家族があれば他人です。
これから一緒に暮らしてゆくパートナーこそが新しい家族です。そのお相手を探して婚活を始めたはずなのです。
二人の暮らしの障害となるようであれば資産を整理したり生前贈与するなど、まず第一に必要になことかも知れません。
事実婚のまま放置と時間稼ぎが続けば資産そのものも痛んでしまうのです。
よくありがちなことです。