何事も後戻りできないことは安易にすべきではありません。
離婚はよくよく考えて判断すべきことです。
熟年離婚の話を聞くといつもそう思います。
長年、一緒にいた時間を突然に捨てて、新しい相手と新しい暮らしに踏み出そうとする。
新しいパートナーを見つけて人生をやり直そうとするケースです。
聞こえはいいですが人生のやり直しなどまず簡単に叶うものではありません。必要な覚悟は並大抵ではありません。
そもそも、これまでの長い人生を「なかったこと」なんてできないのです。
人生は挽回することしかできません。
そして、いくら思い至ったやむにやまれぬ結果だとしても、その離婚の理由が次の婚活の理由となることはないのです。
現在の婚活は離婚があったからではないのです。
しかし、特に女性にはそうした勘違いの傾向が強いかも知れません。
一度嫌いになったらもう後戻りができない。クチをきくのも嫌になってしまう。嫌悪感ばかり、被害者意識ばかりが先に立ってしまいます。
そうなるともう離婚のことしかアタマになくなります。
そうして次の婚活へとつながっていくように感じてしまうのです。
確かにどうしても仕方のない場合というのはあるかも知れません。しかしよほどの場合でなければ離婚ということにならないものです、逆にそう考えれば安易なケースがあまりに多いように思えるのです。
嫌気がさしたとか疲れたとか、不満は色々あるでしょう。
それでも、それだけ長く一緒にいたのです。どれだけ相手を支えようと努力してきたのか。なぜお互いが歩み寄れなかったのか。
しかし聞かれることはいつも一方的な非難でしかありません。
そうして離婚して新しい生活を送ろうとする。
次に出会う人はそれを背負い込まされるのです。
ご本人にしろ実際には忘れようとしているだけで、やはり傷は残ってしまいます。
そうして、結局は寂しい人生のまま老人となってしまうか、自分が傷ついていることさえ誤魔化して生きてゆくしかありりません。自己催眠のようにして今がハッピーだと思い込んで暮らすことになるのです。
毎日が言い訳ばかりになるかも知れません。そうでなければ、まるで今までの人生を忘れてしまったかのような意識、まるで痴呆のような状態です。
すっぽりと記憶が抜けてしまう。
なぜそこまで致命的な衝突になってしまったか、もはや振り返ることはありません。反省することはない。
考えないようにし、忘れようとし、振り返ることはない。
そんな人が新たな出会いを求めたとしてもどうでしょうか。
上手くゆくはずがないのです。
これまでの人生をなかったことにはできない。
欺瞞ということに尽きるのです。
それは自分を騙すことにもなります。自分を騙すということは人も騙すということです。あまりいいことはありません。欺瞞したままで長続きさせるのは難しく、安定はしていないからです。
熟年の婚活では離婚経験者も多いものです。
ですが相手としてはどうか。
必ず何かひっかかるものがあるように思えます。
結局、また同じようにケンカ別れしたり醒めてしまうことがないとも限らないからです。
そういう信頼というのがなくなったから離婚したわけで、新たな出逢いでは果たしてどうなのか、どうやって信頼を作れるのか。理解するのは難しいことだと言わざるを得ません。
答えはすでに離婚歴で出てしまっているのです。これからは違うという保障などあるはずもありません。
そこへゆくと死別などのケースはどうしようもありません。だからまだ救いがあるかも知れません。
人の死なんて、あまり近づきたいものではないと離婚歴よりも避けられることが多いようですが、別に何かの衝突があったわけでもありません。
特に熟年の婚活であれば死別した人の方が有利だと私は思います。それは自然なことだと思うのです。
しかしなぜか死別してしまった人を条件としてNGにしている人もいると聞きます。不吉なものを感じるのでしょうか。
最初から死別した人をNGにするのにどんな理屈があるのか、どういう理由があるのか不思議でなりません。
再婚して二人で亡くなった方のお墓を参るなんて素敵ではないか、そう思うのです。
誰でも死ぬのです。悲しみはいつまでも続きません。冥土の向こうから祝福されている、それは次の暮らしにとって大きな励ましとチカラになることではないでしょうか。
女性というのはとかく早合点しがちなところがあります。
たったひとつの口論から引っ込みがつかず破綻してしまったり、一方的に浮気を疑ったり、騒ぎ立てると止まりません。
女性にはもともと論理的な理解力に欠けているところがあります。
だから早合点する、結論を急ぐ。
結果やその影響をよく考えない女性も多い。
しかし結局、それは一部の男性が暴力に訴えるのと同じことなのです。一部の女性には違う形で同じような傾向があるのだと言えます。
DVに走る人とすぐ別れ話になってしまう人とは同じタイプの人なのです。
そして皮肉なことにひとりぼっちであること、寂しい人生というのはとりわけこんな人たちには耐えがたいものです。
そうしてまた早合点して失敗を繰り返してしまう。
そうなると悲劇というよりむしろ喜劇です。
ただしその裏では途方もない時間のムダがあります。笑ってもいられません。
歳をとり老人になって気がついても取り返しはつきません。貴重な人生の時間がムダになってしまうことになります。
実はこんな話はごく当たり前のことです。誰もが別れるということには傷がつきものだということは分かっているのです。
「あんなのとは別れてやった。だからあなたと付き合おう。」なんて誰も言いません。
たいていは「捨てられてしまったことがある。そんな私を気に入ってくれるでしょうか。」そんな風に人は言うものです。
人を足蹴にしたり見限った人物と知って、その人と上手くいけるとは思ってくれない、それがご本人にはよく分かっているからです。
だからどんな別れ方をしたとしてもこういう言い方をします。
自分から別れたとは言わないものです。
いや、DVや浮気、そこにどんな理由があったとしても、自分から別れを切り出したと離婚暦を説明するのは得策ではありません。誰が悪かったとか何があったかではないのです。新たに出会った人に説明する意味はありません。
どんなに事情を説明したとしても相手に完全に理解されることはないのです。
そんな話をすれば何かしら猜疑してしまうものです。一方的な判断があったのではないか、僅かのことでも許容できない頑迷な人なのではないか、と。
しかし、そうすると嘘が含まれていることになります。すでに大きなハンデがあることになります。
よくあることだと社会的にはあまり言われないことですが、やはり離婚歴というのは傷のひとつには違いないのです。
特に熟年の婚活では離婚暦はハンデだと思います。
数が多いだけにありがちなことのように考えられていますが、新しい出逢いや婚活となればどうしても引っかかってしまうものなのです。
まず離婚の決断をする前にその判断がどれだけ正しいのかよく考えてみるべきでしょう。
それがよほどの事情であるのかどうか。
海外ではこうした夫婦関係の危機を乗り越えさせようとするカウンセリングもあります。
つまり海外でも離婚というのは選択として良いとされていないということです。
夫婦の関係を修復することは社会的はにも必要な支援とされているわけです。
もちろん、我が国ではそうしたサポートはありませんが、熟年という人生の折り返しが見えているならなおさら慎重にしなければならないと思います。
婚活は離婚の延長ではないということ、離婚暦は婚活には大きなハンデだということ。とりわけ熟年であれば見切りをつけるるよりもお互いの関係を修復する努力こそ懸命であり必要だということ。
今回は熟年離婚を考え、離婚が婚活に直接つながるものではないこと、そうした誤解は婚活を困難にさせるだけということをお話しました。