熟年や壮年の婚活は、一定の年齢を経た男女が出会おうとし、再び結婚というものを目指して様々なハードルを乗り越えようとするということになります。
そこには必ずお互いの過去というものがあり、背負ってきたものや傷があります。
それが熟年、もしくは壮年の婚活ということです。
どうしても最初からハードルがいくつもあるものです。
寂しい熟年同士が近づき、お互いに深く知り合おうとし、理解し合ってこれから二人の人生を生きてゆこうとする。
この時、少なくともどちらかには離婚暦があるのが普通です。
年齢からすればそれは普通のことです。
しかし、それがもし不倫の結果の離婚だとしたらどうでしょう。
あってもおかしくはありません。
こういう不倫の末の離婚経験はしばしばハードルになるものですが、これをどう乗り越えたらいいのでしょう。
それは単に不倫暦ということではありません。
不倫によってパートナーを傷つけ、結婚生活を修復不可能なものにさせてしまった経験なのです。
たいていの人はこういういことを隠したり触れないようにして婚活をしようとします。
離婚原因を性格の不一致などとして片付け、当たり障りのないことにしてしまうものです。
これは果たして懸命な方法なのでしょうか。
私にはそうは思えません。
単なる浮気や不倫ではないのです。不倫で結婚生活を破綻させたということが重要です。相手を傷つけているのです。
それは単なる過ちだったとすればいいのでしょうか。パートナーを傷つけてしまったことは忘れてしまえばいいのでしょうか。
そうして、本来、よく話し合わなくてはいけなかったことをないがしろにして、やはり同じことを繰り返してしまうケースと言うのは多いものです。
結婚生活へダメージを与えてしまったことが振り返られることがないままなのです。
もちろん、不倫や浮気があっても結婚生活が支障なく続けられるカップルはいます。
しかし、離婚となってしまえば修復できなかったわけですから、それは傷なのです。乗り越える必要があります。
不倫して離婚、また再婚できたとして不倫しなければいいのでしょうか。
他のことで再びパートナーを傷つけてしまう可能性はないのか、そんな不安はないのでしょうか。 過去の不倫暦から同じように疑いが深まったりすることはないのでしょうか。
そうして、まるで引き込まれるように再度の不倫さえ起きたりします。疑念を持たれてしまったことがキッカケになってしまうわけです。
相手に疑念があると思えばどうしても自然に吸い寄せられるようにそうなってしまうものです。
それはまるで、裏切られるドラマをリプレイしているかのようです。
嘘や隠してきたことが尾を引きずって、また過ちを犯し、やはり再びそれが決定打となってまた離婚という流れです。
そのことに触れようとせずに避けてきたため、信頼関係を気付くことが十分にできなかったりします。
よくある失敗です。
いったい、隠そうとしたことは何かということです。避けていることは何かと言うことです。
それは不倫という罪なのでしょうか。私はそうではないと思います。
何も不倫や浮気をしたら誰でも離婚するわけではありません。
むしろ不倫によって離婚に至ってしまったという事実です。相手を傷つけたために取り返しがつかなくなってしまったという事実なのです。
それは何も不倫でなくとも違う形でもあり得るということです。
人を傷つけてしまう部分が自分にはあるのではないか、それは自分への問いかけでありそんな不安は新しい出逢いを経た二人が共有すべきことです。
別な相手なら許されたのか、どうしてそんなことに至ってしまったか、振り返ることは必要だと思うのです。
でなければ思い込みがスレ違ってしまったり、期待が失望に変わるかもしれません。
これまで背負ってきた過去がどうしても足を引っ張るということになります。
しかし、それが人生の後半で起きるのだとしたら、いったいどれだけの時間と労力が無駄になってしまうことか。
言葉には尽くせないほどの徒労感になります。
結局、最初から不倫による離婚暦だということを率直に告白し、それを踏まえた上でお付き合いをすべきなのは明らかなことです。
ところが、それをたいていの人々はそれを黙ってやりすごそうとするものです。
私にはそれが理解できません。
婚活はナンパやフリーセックスではないのです。
そこにはお互いの財産さえ絡んでくることです。
もはや人生の後半です。過去を、ただの過ちや揉め事として看過することなどできないということは知っておいて欲しいと思います。
これに異論もあるかも知れません。
それでは再婚は難しい。それでは婚活は不可能だ。というものです。
不倫や離婚したからと言って、人生が再スタートできないではしょうがないではないか。相手に黙っていればいいではないか。
などなど。
しかしこれを相手が知ったときに相手がどう感じるか、その配慮がありません。そんな配慮ができないのであれば表面的なお付き合いでしかありません。
それなら最初から婚活や第二の人生、そんなものを求めなければいいのです。
同じ年頃、あるいはお互いに波長が合う男女同士でワンナイトラブを楽しんだり同じ世代の同好会に参加して独身生活を謳歌すればいいのです。
あるいはお友達としてお茶を飲み、外食をともにして表面的な社交、お付き合いをすればいいのです。
よく婚活でクチにされる「このままでは人生が寂しい」という熟年婚活を始める時の気持ちは、信頼できる相手があってこそ満たされるものです。
人との信頼にヒビを入れてしまった経験を秘密にして新たな結婚に進もうとすることは、相手を最初から裏切っていることになります。
そんなまま結ばれて、その関係がどれだけ長く続いたとしても嘘は嘘です。
決して報われることはないでしょう。
極論すれば不倫があったことは起きてしまったことに過ぎません。
しかし相手を傷つけ、結婚生活を修復できないまま離婚に至ったことは今現在にも続いているご自身の傷なのです。
もっと言えば、そのことに向き合ってくれ共有しようとしてくれる相手を探してください。
「気にしないよ。」と言ってくれるのはただの慰めに過ぎません。
この世の別れとなった時、あなたはその第二の人生すら失敗で嘘だったと知りたいでしょうか。
あなたが、その裏切られたと思い知らされた相手になっていたことを考えれば、それは容易にわかることです。
どうしても修復できない理由がどこかにあったのです。
どうして離婚することになったのか、どうして不倫関係を作ってしまったのか、よく振り返ったものがなければ、相手の理解を得ることは出来ません。
またその共有をしてくれようとしないお相手で傷は癒えるでしょうか。
率直に相手の方に「相談」してください。
過去を乗り越えるために。
過去の失敗を「相談」し、共有できることが乗り越え方のコツです。
同じように疑惑の種を撒いてまた失敗するぐらいなら、独りのままでいた方がよほど安心できることでしょう。
不倫による離婚暦の乗り越え方というのは、「過去の傷を共有できるか」という課題に他なりません。それはまさに二人の実直さに尽きます。
隠したり、それがなかったことのように無視したりすることはやってはいけないことです。
なにしろご自分だけではなく、お互いの双方に何かしらの事情があるかも知れないのです。
相手の不倫は許せなくとも、自分の不倫経験は黙っている。
自分の不倫はなかったことにして、相手の過去だけを話し合う。
まるで相手だけに問題があったように振舞う。
運がなかっただけと振り返らない。
触れられたくない過去として避ける。
どれも懸命なこととはいえません。
結局は過去の出来事を踏まえて私たちは二人で当事者となってゆくわけです。今度は違うというなら「二人して」その理由を探さなくてはいけないはずです。
自分本位に相手への期待ばかりで相手にも期待があることが想像できない、相手からの期待に応えることがない、お互いにそんなチグハグなら信頼し合うことなどできようもありません。
わざわざ熟年で婚活をして、そんな不安定な関係がお望みでしょうか。それなら独りのままでいた方が快適なのです。
人への真摯な態度や人生に対する率直さを知るには、もういい年齢のはずなのです。
よく不倫や浮気の何がそこまでいけないのか分からないという人がいます。そこまで結婚生活を破綻させるほどのことなのか、と。ましてや子供がいたりすれば尚更ではないか、と。
そうではないのです。
結婚生活を破綻させてしまったことが「傷」になっているのです。不倫による離婚という結果こそが背負っている傷なのです。
「不倫や浮気程度で二人の関係が壊されることはない。」そういう関係もあれば、わずかの過失やたった一言の不用意な言葉で致命的なことになってしまう関係もあります。
なにも罪を引きずるわけではないのです。
「罪」であればあがなうことができます。
しかし現在まで続いている「不倫が原因で離婚した」という過去はこれからも背負い続けることになります。それが人生です。
二人で過去を共有しようと向き合ってくれる相手が必要であり、共有することが必要なのです。