フジテレビ問題
フジテレビの性奴隷問題が収拾しません。
もはやテレビ局として存続できるかというレベルになっています。
SBIの北尾氏が乗り出すという話があるとか。
局をバラバラにしたらいいのではないか。
地上派は電波が余ってるのです。ひとつの局につきチャンネルが三つ。
地デジになって各局で三つの周波数が割り当てられてるのに同じものを流しているのです。貴重な電波が無駄になっている。
これを切り売りすれば整理できるのです。テレビ局同士で競争ができて報道が正常化する。
考えられる顛末はそんなところでしょう。
発覚したのはフジテレビによる女子アナによる性接待でした。
長年にわたりフジテレビは女子アナを性の道具にしてきた。
果たして同意だったのか、不同意だったのか。
構造的な腐敗があったとされています。
すると被害に遭ったという女性も実は加害者なのです。
組織グルみのことだったのですから。
「自分には関係ない」なんて言える人はあり得ません。
フジテレビにいる女性すべてに疑惑が向けられて当然です。
たとえ単に加担した側だったとしても、「卑怯者」ということは残る。加害者なのです。
「身に覚えがない」とか、「知らなかった」とか、なんてそんな場合ではないのです。
ほとんどの女性が加担した人物だということです。
同性を食い物にして幸福になろうという女性はいます。
被害者は加害者になり、加害者は被害者をまた作り出すのです。
こういう女性と縁が出来てしまうと男性には不幸です。不幸の連鎖になる。卑怯に流される女性は男性にとってはツキがない女性なのです。
フジテレビには組織的な腐敗があり、それは全てに影響を与えてきました。
一方、アメリカでは腐敗した政府機関の閉鎖や解雇が進んでいます。USAID。
我が国でフジテレビ問題が起きたことはこのことと不思議とシンクロしているように思えます。まるで偶然には思えません。
やがてこの問題は日本の政界へ問題が広がってゆくでしょうか。
それとも政府ぐるみでウヤムヤにするのか、どうか。フジテレビは総務省からの天下りが最も多い局と言われています。
それだけの腐敗がフジテレビという組織には疑われるのです。
女子アナ、彼らは加害者にしても被害者にしても、どちらにしても女性の立場を貶めることに関わっていたのです。
女性の尊厳を穢してしまった。
そんな連中と関わりあいにはなりたくはありません。
言うまでもなく発覚の発端となった中居はかつての性被害者の一人でした。
ジャニーズ問題。
この女子アナと中居の事件が起きたのはちょうどジャニー喜多川による性加害がマスコミで取り沙汰されていた次期だったのです。
少なくともそれは偶然ではありません。
つまりまさしくその渦中に起きた事件だったということになります。
この頃、中居が強いストレスの下にあったことは想像に難くありません。
ジャニー喜多川から受けたホモ性行為の強要、その被害が連日明らかになって報道され、いたいけな少年たちが受けた性被害が取り沙汰されていました。
この世間の騒ぎの中、中居は疑問さえ持ったに違いありません。
「それなら俺だって我慢してきた。みんな我慢してたんだ。」と。
それを我慢したことで中居はスターダムに上り詰めたのです。
わずかの時間じゃないか、少し気持ちを抑え付けるだけじゃないか。そうすればジャニーズからスターになれたのだ、と、彼は自己弁護していたはずなのです。
中居は他の少年たちを説得すらしたに違いないのです。
「ジャニーさんが欲しがってるんだ。今がチャンスじゃんか!」と。
拒否した少年たちはすんでのところでジャニーから逃れたことになります。
しかし実際には程度の問題でしかありません。
カラダを差し出したのか性的な接触ぐらいだったのか、言い寄られただけなのか、せいぜいそれだけの違いでしかなかったということです。
被害は被害です。 フジテレビ問題は全てが明らかになったわけではありません。
調査しているのは中居に関することだけなのです。
中居事件
ジャニー喜多川による性加害の告発。
長年受けていた性被害を告発した男の子たちが現れた。
しかしテレビ各局はジャニーズタレントをうやうやしく使っておきながら、これに一切関知してないという態度を決め込んでいました。
こうしたテレビ局の日和見な態度は中居のストレスに追い討ちをかけたことでしょう。
俺の受けた苦しみはどうなるのだ、と、中居はストレスを感じたはずです。
そうして彼はじっこんのプロデューサーに女子アナを一人要求したのです。
このところ疲れている、精神的に参っている、慰めが欲しい、と。
ちなみにこの女性は「女子アナ」でなければなりませんでした。
どんな美貌であろうとスタイルがよかろうと、テレビに出ている女性でなければならなかったのです。
それが女子アナの性接待の価値です。
テレビに露出する女子アナは全国の視聴者が知っていることがその価値です。
中居のタイプの女性ではあったかも知れませんが、まずそのことが大前提でした。
だから中居は女子アナを要求したのです。
それは被害者としての中居にしても同じことでした。
彼らは単に性のはけ口として求められただけではなかったのです。
アイドルであること、有名であること、その価値が食い物にされたのです。
そうして中居のマンションで飲み会をやるという話が作られます。
複数名のタレントを含めた女子アナやフジ社員、みなが中居のマンションに集まるという話になりました。
前にもバーベキューパーティをやったことがあったといいます。当の女子アナは通常のよくある飲み会だと思ったかも知れません。
中居は「店を探したが空いてなかった」などと偽装すらしています。
中居のマンションに集まるということになって彼女もそこに出かけました。
すると他の人間は一人もいない。
他のメンバーはなぜかみな全員が揃って都合が悪くなったというのです。
彼女はハメられたのです。
ハメたその中には女性もいたはずです。
こういう女性が他の女性を貶めるということはあることです。
普通の男性はそんな女性とは関わり合いにはなりたくないでしょうが本性を見分けることは難しいものです。
女性の本性は群れてない時にしか見定めることはできないのです。
女子アナは一人で中居のマンションに出かけたつもりはありませんでした。
しかし、そこに集まるはずだった全員が示し合わせて中居のマンションに行かなかったのです。
彼らもこの女子アナと中居のトラブルに加担したのです。
それはいったい誰なのか。
第三者委員会の調査ではこれは隠されました。「二次被害を防ぐ」なんて、そんな言い訳があったのでしょうがそんな道理は通りません。
全員が加担していたのには違いないのです。
なんとかしてフジテレビ問題は中居個人の問題にしたいのでしょう。それが出口の見えないこの問題の本質です。
もちろん当の被害者の女子アナにしてもそうでした。
全員が都合が悪くなった、そんな白々しい話を女子アナが信じるわけもなかったはずです。
ハメられた、自分は人身御供に差し出されたのだと彼女は知ったのです。
彼女は放逐されたわけです。そこで諦めが起きたことでしょう。みんなから裏切られて放り出されたのですから。
女性というのはグループから疎外されてしまうとあまりにも弱いものです。
男性はそこを守ってやらねばならないのです。女子の群れの裏切りに対して。
あるいは女性が独りになれるかどうかです。孤独は幸運をもたらすのです。
女子アナの勤めとフジテレビ社内ではされていたからです。
それが始めてのことだったかは定かではありません。
しかし少なくとも、求められれば女子アナは性接待に応じなければならないことは知っていたはずです。
応じれば女子アナとしていっそうの成功があることも。
すなわち、今回の被害者女子アナも加害者になる可能性があったということです。
そうして彼女は渋々ながら性交渉に応じましたが、その時に中居が抱えていたストレスは尋常なものではなかったでしょう。
中居本人とて嫌々ながらこうした性接待に応じてきたのです。
不公平ではないか、そんなことを中居は感じたかも知れません。
あるいは中居は女子アナの態度の中に軽蔑を感じとったのかも知れませんでした。
彼のイライラは募りました。とうとう彼は激昂した。
自分の被害の記憶が彼を苛んだのです。
そうして彼はキレた。
女子アナごときが威張るなと彼は思った。この業界、アタマがよかろうがどんな美貌だろうが関係はない。ギブアンドテイクなのだ、と。
次第に性交渉は過激なものになってゆきました。
肛門裂傷。
アナルセックスというのはあまり一般的ではないかも知れませんが、一部で行われている行為ではあります。
正直、あまりお勧めはできません。
歳を取ると括約筋が緩んでオムツをつけねばならなことになります。
そんな中年女性を見ることもあります。まだ若いのにオムツをつけていてスラックスのお尻の辺りがボコボコしている人がいる。
アナルセックスというのは肛門を女性器と同様に見立てて男性器を挿入するものです。
ゲイ同士でもこれは行われます。
すると中居にはすでにジャニー喜多川の性奴隷としてこの経験があったはずです。
つまりアナルセックスについて中居には一定の知見があったはずなのです。
知見があれば肛門を傷つけたりはしないのが普通です。経験者なら当然です。
でなければ肛門がいくつあっても足りません。
つまりこの性被害は偶発的な事故でもエスカレートしてしまったわけでもなかったということです。
中居には意図的な悪意があったのです。
被害者が加害者に変わる時
つまり行為の最中に激高した中居が豹変したとしか考えられないのです。
激しい怒りが中居を襲っていた。
それは行き場のない怒りでした。
中居はジャニーの性的蹂躙に耐え、悔し涙を堪えてトップスターにのし上がったのです。
彼は女子アナたちの甘さに腹が立ったのかも知れません。
適当に性接待をすればテレビで取り立ててもらえる女子アナたちの甘さに。
中居は乱暴になった。
カラダを差し出すというなら徹底してやってみせろ、と。
自分が受けた恥辱を味わせるのです。激高した中居はその行為に熱中したことでしょう。
異変に気付いて女子アナは抵抗もしたでしょうが今更のことです。もはや抵抗しても手遅れでした。まさしくレイプでした。
凄惨を極めた中居のマンションでの性的虐待。
それは女子アナの人間を壊そうとするほどだったでしょう。
中居には憎悪さえあったに違いありません。屈辱を与え、辱め、自殺されても構わないとさえ考えたはずです。
自分はそこまでの恥辱に堪えてここまで来たのだ、と。
裏返しのような憎悪があったはずなのです。
ちなみに、少なくともこの被害女性を診断した医師の見立てではレイプがあったとの認識で治療が進められています。
それだけの裂傷を被害女性は負ったのです。
後日、女子アナは「話が違う」とフジテレビに訴えました。
いつものやり方とは違ったのです。聞いていたようなことではなかったのです。実際に傷害を受けてしまったのですから。
しかしその後の精神的ケアや慰藉に労力が割かれることはありませんでした。
中居からの謝罪もありませんでした。
示談交渉がお膳立てされ弁護士が間に入っただけでした。
仲介したのはフジテレビの社員、プロデューサーです。
そうして女子アナはフジテレビを去ります。
もう付き合ってられないというわけです。
賢明な選択ではあったでしょう。
その後も長く女子アナはトラウマに苦しんだといいます。
中居は被害者から加害者になってしまったのです。
関わらない知恵
世のマスコミ志望の女子たちは、放送研究会に入部するなどしてツテやコネを求めるのが通例です。彼らはみな学卒です。
そこに電通、各テレビ局関係者が関わっています。
すでに大学生の頃から女性を性の道具に使うという構図があるのです。
そもそもマスコミという業界に入るにはツテとコネが大事です。
実力や才能が問われることなどありません。
ましてやテレビ局お抱えの女子アナになるということです。「OBへの紹介」などとしてセックスの提供が日常的に行われていました。
でなければ狭き門です。女子アナにはとうていなれないのです。
フジテレビは特にこの女子アナという商品を大いに普及させました。
狭き門をわざわざ作ることさした。
難関であればあるほど性接待の必要性を納得させることができたからです。
フジテレビは単なる原稿読みでしかない女性アナウンサーを時には華やかな舞台に取り立てたものです。
給料は安いが清廉で才媛、女子アナはどこに出しても恥ずかしくないトップクラスの女性、そんな伝説を作り上げていったのです。
それが彼女たちの将来を約束しました。
大物芸能人やスポーツ選手との結婚につながっていったのです。
例えば、ABCマートの社長は愛娘の「テレビ局に入社したい」という希望を適えるためにTBSの株を買い占めたと言われています。
そうして愛娘の入社を求めたのです。
それは大株主からの要求というわけです。
つまりこのエピソードで分かるのはテレビ局では公正で厳正な入社試験や選抜が保障されているわけではないということです。
入社の手段は何でもアリです。歯止めとなるモラルも規範も何もない。
ツテもコネも自由な裁量のうちだというなら、セックスも、カラダを差し出して入社を取り付けるのも自由というわけです。
だから彼女たちは加害者となって女子の足を引きずりこむこともあったのです。
そうして入社後も彼女たちは性的接待をするわけです。
同意できない者は排除されました。
しかしそれは本当に同意だったのか。
逆に時には他の女子が説得や交渉する側に回ることもありました。
「どうして、すごいチャンスじゃない。ちょっと抱かせてあげればいいだけ。」
女子が加害者側に回ったのです。
やらねばヤラれるわけです。そうして被害者が加害者になったのです。
そんな構図はしばしばのことだったでしょうが、こうした役割を進んでする女子の中には器量や頭の悪い、見劣りのする女子たちが多かったはずです。
決して近づきたくない女子というのはいるものです。
たいてい器量もよろしくない人がそんな同性の足を引っ張るということをします。
関わるべきではない人というのはいるものです。
彼女たちは自分の欠点を補うために積極的に性接待のシステムを支える側に回るのです。
中には嫌がる友人を無理やり眠らせたり酒で酩酊させたり、抵抗できない場面におびき出すなどの工作に加担した者もいたことでしょう。
なにしろフジテレビの女子アナや一部のタレントは性の道具なのですから。
他局でも同じような構図があると考えていいと思います。
これはフジテレビだけの問題ではないのです。
この事件を受けて調査に乗り出した局はほとんどありません。第三者委員会を設置した局は皆無です。
利益があれば女子とて豹変する人がいるのです。
そんな女子は男子には陥穽でしかありません。
同意と不同意
性交渉の同意と不同意の線引きというのはそうは単純なものではありません。
彼らが被害に遭ったと感じるのがずっと後になることもあります。深く人の心を傷つけているものです。
巻き込まれれば抜け出せないドロ沼です。
そしてこの構図を思い知らせるためなのか、日常的にフジテレビの重役やプロデューサーらは女子アナを「試食」してきました。
フジテレビ幹部たちは女子アナを味見していた。
女子アナを性接待に使っていた側が今度は性接待を提供される側になったわけです。
ここにも逆転の構図があります。
社内のヒエラルキーを維持するためにそれは役立ちました。
女子アナを上納することは社内の出世競争につながったのです。
つまり何も外部に向けただけの接待ではなかったということです。社内において重役を性接待することもあったのです。
この性接待とは、どれだけ女子や男子が相手を喜ばせられるか、ということです。
愛想よくし、いかにも嬉しそうに、ひと晩の愛人としてどれだけ奉仕させられるかということです。中居の事件は例外的です。
これを取り仕切るのが女衒の仕事です。
つまりフジテレビという組織は女衒だったのです。フジテレビではとことん女性は性の道具だったのです。
これを「人権の蹂躙」などと片付けるだけではあまりに不十分な話です。
そんな曖昧な言葉で腐敗は治るものではありません。そのために言論の自由、報道の公正さが犠牲になってきたのですから。
同意していたのかいなかったのか。
それをフジテレビ側は「中居と女子アナの認識にすれ違いがあったようだ」、などと釈明しています。
意識のスレ違い、しかしそんなことはまるで関係ありません。
性交渉の同意、不同意の線引きというのはそう単純なものではないのです。
彼らが被害に遭ったと感じるのがずっと後になることもあります。
深く人の心を傷つけているものです。
つまり表面的な同意に過ぎなかったのか、不同意があったのかという議論は問題の本質ではないということです。
優越的な立場があったのかどうかです。
暗黙の圧力があったかどうかということ。
考えれば私たちの場合でも分かるでしょう。
性的関係というのは本来は対等で相互的なものです。
すなわち正しいチカラの使い方、正しい権威の使い方をしているかどうかです。それは男子にとっては常に自戒していなければならないことです。
そういう使い方が分からない男子はクズです。負け組。女子は関わるべきではない。
フジテレビ問題の真相を最後の最後まで突き止めるのは恐らく困難でしょう。
しかし女子アナに性的被害があったというだけで十分です。
そこに同意があろうが加害は加害、被害は被害だからです。
同意があろうが同意を強要されようが、外でも内部でも、女子アナは性奴隷として接待の道具として認識されてきたということです。
中居の場合は傷害を与えてしまっただけのことです。
つまり被害者が加害者になっている場合も考えられるということです。
全員がギルティ。有罪なのです。
もともとフジテレビが性接待を手引きしたから起きたことです。
性奴隷となった被害者は転じて加害者に回ることも多い。
自分の受けた穢らわしい悪夢、その記憶から逃避するために自分が加害者の側に回ることは忌まわしい記憶から逃れようとするよくある心理です。
そうして「自分も我慢したのだからアナタも我慢しなさい」と、性接待を強要するのです。
協力することで局アナとしてステージが上がったのだ、と。
そうして自分を肯定しようとした女子もいたはずです。自己承認欲求です。
誰一人、フジテレビに関われば嫌でも泣き寝入りするしかなかったわけです。
それは勘違いした「華やかな世界へのあこがれ」と引き換えでした。彼女、あるいは男の子たちさえ性奴隷にされてきたのです。
本当はやりたくなかった。
でも、しかたなかった。
しかし取り入ればスターになれる、アナウンサーとして引き立ててもらえる。
全員が有罪です。どこにも救いはありません。逃げ出すしかないのです。
それは中居も同じ。彼はジャニー喜多川の性被害に遭った。
彼はジャニーにカラダを差し出した。それは中居という人間を大きく傷つけました。
そうして巡り巡って中居はやり過ぎてしまったのです。今度は自分が加害者の立場になってしまったのです。
とにかく何らかの強要があったということ。
これは道義的な問題ではありません。犯罪です。
このことは本質的に犯罪なのです。
同意があったことにしただけのことです。同意が強制されているのです。同意があろうとなかろうと人身売買と同じです。
人の自由意志をカネや権力で奪ったり、優越的な立場を利用して言うことを聞かせること。それは罪だと知るべきです。
ちょっと前のこと、TBSの記者だか論説委員でそんな話がありました。
留学中でクラブで働いていた日本女性から彼はアメリカでアプローチを受けた。
彼女はマスコミでジャーナリストを志望していました。ツテやコネを求めて彼女はTBS氏にシナを作った。
で、TBS氏は勘違いして女のカラダを求めた。 しかし、いざとなったら彼女は嫌がったのです。
そんなつもりじゃなかった、というわけです。
それでも彼は性行為に及んでしまった。
それはレイプです。アウトなのです。
断られたら終わりだと分かるか
どんな時点でも嫌がってるものをやったらアウトです。男性はそこに気がつかないといけません。その責任がある。
性行為は相対的なやり取りなのです。
この場合は取引です。
自分を番組で使ってくれ、と、その代わりにカラダを差し出す。
これを「マクラ営業」などと言われます。
しかしそんなものでも、直前になって「イヤだ」と言われたらダメなのです。
たとえ挿入してたとしても抜かないといけない(笑)
だから、「男女の出逢い」なんて、お互いにおそるおそる接近するものです。
「ホントにいいの? 俺はしたい。」
「いいよ。私もしたい。」
ってな具合なのは当たり前の風景です。
男性からすれば来る者を拒まず、去る者を追うことはしないものです。
人の気持ちは微妙なものなのです。
出会いはまさに奇跡のようにして起きるものなのです。だからかけがえがない。
「恋の駆け引き」なんて、そんなことを軽々しく言うようではあまり程度のいい人間ではないでしょう。
それは女子にしても男子にしても同じです。
恋愛ではない場合でもそうです。純粋な恋愛ではないという場合でも、相手にどんなによこしまな考えがあったとしても、どんなに不純な動機が相手にあったとしても、その相手からイヤだと言われたらダメなのです。
「やっぱりイヤ!」、それだったらダメなのです。
性交渉というのは究極的にはいわば「取引」です。
成立しなかったらキャンセル。世の中には「クーリングオフ」というものもありますw
どんなによこしまな動機で相手が誘惑してきたとしても、途中でイヤだと言われたらそこで終了しなければならないのです。
それが分かってない男子も多いものです。人生を舐めてる負け組に多い。
こうした問題では欧州の連中の言い草が象徴的です。
彼ら欧州の連中が日本に来ると「驚く」という話があります。
「パーティでもないのに日本の女性たちは刺激的なファッションを平気でしてる。あれではまるでレイプしてくれと言ってるようなものだ。」という話。
それは欧州ではレイプが普通のことだからです。
恥知らずな連中です。
先進国を自称しながらレイプされてしまうのはよくあることだと、当然のことだと考えているのです。仕方ないと考えているわけです。
人権だの人道主義だの、日頃から色んな国にご大層なことを言ってクチを出してきますが自分たちのことは知らんフリをしている恥知らずたち。
欧州の連中は平然と言うのです。
「そんな刺激的なカッコをしてたからレイプされたのだ。それは自己責任だ。」、と。
それは男性でも女性でも同じです。同じ言い方をどちらもする。
そんなことに注意しなけりゃ街を歩けない国を恥ずかしいと思わないのか。
選民思想のナチズムです。その萌芽はこんなところにも見えるのです。
それが欧州です。ヨーロッパのクズ文化です。
ウクライナ。
「ウクライナの花嫁」なんて結婚詐欺は昔から有名なものでした。そして売春婦も多い。
まるで思慮分別なんてものはありはしないのです。
二、三年前のこと、「世界女性デー」があった時のことです。
これは国連系のイベントで毎年のセレモニーみたいなものです。
その時、「欧州での性被害が世界で一番多い。レイプが多い。」なんて言われてしまったものでした。
当時、もうウクライナ戦争は始まっていましたから、本当はロシア側のBRICSに加盟したインドあたりを槍玉に挙げるつもりだったでしょうが目算が狂った。
インドではレイプが多いと西側が喧伝していたものです。
しかし当の欧州こそがレイプだらけの地域だったというわけです。
たいていの欧州のオトコなど女性を性の対象としか考えてないものです。
欧州の男性は女性など無理やり押し倒してしまえばいい、そうすれば言うことを聞かせられると思ってるものです。
この時、西側メディアはBBCを始めとして慌ててこの報道をしないようにしたものでした。
報道は一瞬で終わりました。この報道はパタリとなくなった。
最近は世界女性デーの話はあまり聞きません。
欧州の男性など女性をそんな風にしか見てないのです。
イギリスの男子、特にオッサンなど紳士でも何でもありません。
男子中心主義とはこういう時に使うべきです。アタマのわるいクズばかり。「アニマル」でしかない。
普通の男性にとっては嫌がる女性の顔など見たらとてもできるものではありません。しかし異常な男性は平気なのです。
レイプされそうになったら泣き叫んでも通用しません。脱糞でも小便でもいい、そんなことをすれば自分を守ることができます。
女性の活躍とか人権とか、我が国にも言ってくるのはとりわけ欧州の連中に多いものです。
私たち日本人は彼らには欺瞞したものがあることを知っておくべきです。
それこそ被害者であり加害者なのです。
このフジテレビの女子アナたちにしても釈明すべきことがあるでしょう。
「知らなかった」では済まされない。何らかの形で加担していたのです。組織ぐるみだったのですから。
このフジテレビ問題で休職して雲隠れしてる女子アナもいるとか。
それこそ他の女子を踏み台にしてのしあがった当人ではないのか。
他の女子をスポンサーやテレビ局のお偉いさんに差し出したのではないのか。
あんた! 同僚を生贄にしておびき出すのにひと役買ってたろ!
あまり認めたくはありませんがそういう下劣な女子もいるという現実があります。
下劣な男子もいれば下劣な女子もいるということです。
人生は薄氷です。汚いものには触れないようにしないといけません。でないと後悔しても後悔し切れない。人生は短い。
歳をとってみれば分かるでしょう。
そんな邪悪な連中と関わって振り返ってみれば貴重な人生が無駄になっているのです。
その過去から後戻りすることはなかなか難しいでしょう。
よく愚劣な男子との関わりを避けるべきことが言われますが、それは女子にしても同じなのです。
売春婦以下のような女子もいるものなのです。
組織ぐるみの腐敗はそうして蔓延し、伝染し、中の男女を貶めたのです。