はじめに
今回は感覚的なお話をしてみようかと思います。
ちょっと想定として曖昧なところがありますが、あまり細かく厳密にお話しようとすると定義が面倒なことになります。
だから直感的に聞いていただきたい、そんなお話です。
高齢化
まず、今の西欧先進国は高齢化が進んでいると言われます。
一方、ほとんどの男性にとって「年上の女性」という感覚は憧れのまま生きているものです。
実は男が熟年になったとしてもそれは変わらないイメージなのです。若いときから想定していた年上女性の年齢を自分が追い越したとしてもそれは変わりません。
男性が母性を求めるというのはよくあることです。高齢化の中でもそうしたことがあります。
逆に父と娘のような保護的な関係を求める男性というのはあまりいないでしょう。
あるとしたらその本質は征服欲ということになります。いわば支配欲です。
例を言えば、女性に対して「教師」のように無闇に振舞いたがる人がいます。それは強い自分、優越した自分を感じたい心理的機制です。しかし一方的な欲求に過ぎないことが多いものです。人間としては弱い人が多い。
しかしそれは関係としてはあまり長続きしないものです。
二人で「暮らす」には、教師と生徒という結び付きはあまりに短い関係だからです。
誰でもいずれは卒業してしまうのですw。
歳をとっても若さだけを求める、そんな男性はどこか間違っているかも知れません。出会いというものが分かってないところがあります。相手がいることなのです。
そもそも、熟年ともなれば男性には職場などの出逢いの場や出逢うキッカケといういわば建前が必要なのです。そんな場には若い人はなかなか馴染めないものです。出会いの場はお見合いパーティにしてもマッチングサイトにしても若いと少ないものです。
それに歳を取れば男性は女性の方から寄ってくるぐらいが普通です(笑)。
しかし、いい歳になってしまうと向こうからやって来る出逢いには男性はあまり食指が動かないものでもあります。
来る者にはつい男は身構えてしまうものだからです。ミスマッチがあります。
それが普通の熟年男性の習性というものでしょう。慎重さや警戒感は自己防御の当然の心理的機制です。
男性の機微というものでもあります。だから熟年男性は出会いの場を必要とするのです。
追いかけられると引いてしまう男性
私がスーパーでよくお会いする妙齢のご婦人にそんな感じのことがありました。
私とは常連の買い物客で顔なじみです。
スーパーを待ち合わせの場所にしているわけでもないようでしたが、彼女はとある男性を待っていることが常でした。
男性と一緒の時は彼女は隠れるようにしてこちらに顔を見せません。こちらに顔さえ向けないでこそこそしています。
その男性を気に入っている、そんなことを人に知られたくなかったのでしょう。それが分かりました。
彼女が男性の後を追いかけているというのはすぐに分かったのでした。
彼女は男性を待ち構えるようにしてスーパーに来ていたのです。
お相手は必ずネクタイをしてやってくる品の良さそうな紳士でした。
勤めではなかったようです。ご婦人よりは年上の男性でした。
男性が現れなければ私と挨拶ぐらいは交わします。男性に会えれば彼にまとわりつくようにしている。その時はまるで私からは隠れるようにしています。
そんなことを私は横目で見ていたものでしたが、ある日からそのご婦人をとんと見かけなくなってしまいます。
どうやらその紳士から避けられるようになってしまったようでした。紳士も姿を見せることはなくなりました。
暫くした後のこと、私は遠くのスーパーでふとそのご婦人を見かけました。
その時はまるで服装の趣味も化粧も変わっていてなかなか気が付かなかったほどでした。
イートインで高笑いをして友人の方とお喋りしていたものです。
つい熱心に付きまとってしまい、男性から避けられるようになってしまったのでしょう。それに気が付いた彼女はすっぱりと諦めたのです。
どうして合わなかったのか、私はそんなことを考えたものです。
追いかけられると逆に男性というのは引いてしまうものです。
いくら熟年となってもそういうところは青年の頃と変わりないものです。
つかず離れずぐらいでいてくれた方が男性にとってはちょうどいいかも知れません。自分から声をかけたいのが男性というものです。
そして、すると相手は妙齢の女性がいいということになります。
そこで浮かぶのが男性にとっての年上女性のイメージということなのです。それは落ち着いていて包容力のある人です。
イメージとしての年上
男性にはちょっとだけ年上の女性がいいなどとよく言われます。「金のワラジを履いて探せ。」なんて言葉さえあります。
いくつになってもそんな年上の女性は男性には憧れです。
他ならぬウチの家内もそんな感じです。私は金のワラジを履いた覚えはないのですがw。
それは熟年となっても同じです。
男性には妙齢の女性はみな「年上の女性」という感覚なのです。
それは熟年男性の実際には年齢が年下だとしても、そうなのです。
相手が妙齢の女性であればそういう印象になるということです。異性として男性にはそんな風に見えているのです。
今の世はそうした志向が強いと言ってもいいかも知れません。どの年齢層の男性にも妙齢の女性が好まれる風潮があると思います。
例えば、世間にはそんなファンタジーがいくつもあります。
それは男の子がお姉さんに可愛がられること、年上の女性から恋愛の対象にされるシチュエーションです。
この分野の需要は強く根強い人気があるとか。
こういうのはマザコンとかシスコンとか、そういうものとは違うものです。
それは高齢化による社会の疲労感であったり閉塞感と関係があるかも知れません、昔が良かったと思ったり、先が見えない不安感です。地球環境問題にしてもそんな人々の不安感を煽っています。
昨今の熟年女性の人気の風潮は高齢化社会が進んだために顕在化したものかも知れません。
芸能界などでは熟女ブームと言われて久しいものがあります。
若くても、デビューしてちょっと経てば無理にでもそんなキャッチコピーがついたりします。まだ若いはずですが、そうした方が売れるのです。
別に女性の賞味期限が短くなったわけではありません。
それが妙齢ということ、すなわち年上という漠然としたイメージです。
高齢化社会となって熟年男性も多いはずなのに世間では根強い引き合いがあるわけです。
つまり何も若い男性だけが年上を好んでいるわけではないということです。
全ての世代にわたって人気があるということです。
男性は恋愛に癒しを求めて甘えたいと考えています。その潜在的欲求があります。
熟年男性であってもそうした願望があるのです。ちょっと年上のお姉さんを夢想しているのです。
自分が若い想定をして、年上から面倒を見てもったり優しく扱われて慰謝される、男性にはそんな願望がいつまでもあります。
こうした目に見える弱さは強さの裏返しです。日頃しっかりしていないといけないから弱い自分になりたいのです。
その願望の中では男性たちはみな若い少年です。
甘えたり手をとられて女性に癒されたいい、そんな夢想、願望が燻っているのです。
妙齢の女性
妙齢の女性は愚かというわけではありませんし有意義な話ができます。
こちらからあれこれ説明したり、いちいち教えてやる必要がありません。
そしてお互いに共有できることは多い。
唸らせる意見を言ってもくれます。つまり話が楽しいわけです。
こちらも油断はなりません。教養と知見も必要です。そんな緊張した関係はいいものです。歳を取れば人と付き合うには「よそ行き」の方がいいものです。
ついウッカリすればダラしなくなってしまうからです。
あんまり年齢差かがあるとそれはそれで困るでしょう。気を遣ってしまうかも知れません。
まあ実際に大きく歳の離れたカップルもいますから、当人同士でもなければ分からないこととは思いますが。
子供の時分というのは、とかく若い頃は男性というのは女性に較べてとても子供っぽいものです。女性の方が早く大人びてしまうものです。
若い頃、女性は同世代の男性ではモノ足りず、たいていは年上の男性に惹かれたものでした。
しかしその男性もいずれ歳をとってゆき歳相応の人間に成長します。
ところが、むしろ女性はある程度から成長を止めてしまうものです。でないと枯れてしまうからです。
つまり妙齢となればたいていは花盛りのまま、ドライフラワーというわけです(笑)。
そんな人はたいてい無邪気で快活、陽気な女性であることが多いものです。「年甲斐もない」というのは彼女たちには一番の褒め言葉となります。それは現実の加齢を否定してくれる言葉です。
こういう女性の態度にとまどってしまう男性は多いものです。
奇妙に子供っぽくも見え、期待していたような「年上の女性」の感じがしないからです。そこにギャップがあります。
密かな願望
年上の女性に甘えたい、癒されたい、それはほとんどの男性に共通している願望だと思います。
寂しくて出逢いが欲しい、そんなことを考えている男性なら尚更です。
しかし妙齢の女性というのはそんな男性側の期待に反して実はあまり甘えさせてはくれないものです。
そこに「ミスマッチ」があります。
女性が大人然としてなかったりすると男性としてはちょっとガッカリしたりする。女性が躁鬱気味の人に見えたりします。
男性の側には思い込みと誤解があり、そこに男女のスレ違いがあるのです。
彼女たちは男性からの甘えを毛嫌いします。
なにしろご自分の方が甘えたいのです。男性に甘えられたくはない、そういう人が実に多い。
男性として甘えて癒されたい、慰謝されたい、もしそんな願望が強いなら年下の女性を探して甘えたほうがずっと付き合いやすいことでしょう。若い女性なら背伸びしてくれるものだからです。
若い女性ならご本人も自分を未熟と分かっています。だから精一杯頑張ってくれるものです。
むしろ年上の女性より若い女性の方が男性を包んでくれるかも知れません。
そうして、歳の若い女性は母性でもあり、娘でもあるということになります。
女性にはこちらが戸惑っていることが分からず、クセになったりします。
こちらはただ黙っているしかありません。
「パパと呼ばないで」、そんなテレビドラマが昔にありました。そんな風に呼ばれたら男は聞こえないフリをしているしかありません。いきなり拒絶すれば彼女たちを傷つけてしまうからです。
男性としては落ち着かない関係にも感じてしまいます。
「甘える」なんてことはあまりなくなってゆきます。教えたり注意したり、女性の方は男性を父親のように頼りにすることになります。
男性が癒されるなんてことは少なくなってしまうかも知れません。
そうして「若い娘は疲れる」なんて男性は愚痴を言うようになるわけです。そんな話はあまりによくあることです。
ミスマッチ
では年上の女性、妙齢の女性はどうかというと、彼女たちは少女のように扱われるのをむしろ好むものです。
一般的に言っても、妙齢の女性に対してまるで少女に対するように声をかけるのは間違ってはいません。
喜んでもらえるし彼女たちは寛いだ気分になってくれます。
それは別に彼女たちに年齢の引け目があるからではありません。
そうされることで年齢を感じずに男性と共感ができるからなのです。
逆に男性は年齢をあまり感じている人はいないものです。ひたひたと忍び寄ってくる加齢の感覚というのは男性にはあまりありません。
男なんて、ある日「老けたなあ」なんて自分に驚いてしまうのが関の山です。
そこへゆくと女性というのは常に年齢を意識しているものです。加齢というのは彼女たちにとっては切実な問題です。
彼女たちは年齢を考えたくないのです。いくつになってもどころか、すっかり忘れたい、そんなところがあります。
ところが相手が自分より若い男性であれば困ります。彼らはまるで承諾済みのようにして女性に甘えようとしてくるものだからです。
すると彼女たちは年上であることを嫌でも思い知らされることになります。
たやすく予想もできてしまいます。
そんな若い男性の態度について彼女たちは図々しいとさえ思うぐらいです。
「可愛いところがある」なんて、年下の男性の頼りなさを許容してくれる女性はほとんどいません。
彼女たちは自分を差し置いて男性から甘えてこられること、それが嫌なのです。
そうして、女性と言うのは不公平を嫌うものです。そして自分だけは特別に扱われたいとも思っています。
つまり男性が女性に甘えたり癒されることというのは男性が期待しているほど簡単なものではないのです。
だからこそ年下の男性と年上の女性という色んなファンタジーやエンターテイメントが根強く求められるのでしょうが。
接し方の妙
それはきっと押し付けられた立場、そんな風に女性は感じてしまうのかも知れません。
年上なんだから甘えさせてくれ、それが当然のように要求されている、そんな感覚があるのかも知れません。
だから反対に妙齢の女性を子供のように扱うのは喜ばれるものです。
それはどんなに高齢の方でも同じです。
まるで女子学生のように扱ってあげ、ちょっと小バカにしてやるぐらいでもいい。そうすると彼女たちは実に嬉しそうにするものなのです。
照れなど彼女たちは感じません。
軽く扱われることでご自分の年齢の重さがまるで吹き飛ぶかのようです。
彼女たちは爽快感さえ感じるのかも知れません。実に晴れがましいお顔をなさる。
男性でこういうことが分かる人は少ないものです。
もちろん、こういう機微が分かる男性はちゃんといるものです。
商売人というのがそれで、ご婦人に軽口をきいてきたりします。
口調はあえてぶしつけで、軽口でやりとりをし、気の置けない感じでからかったりします。
ハタで見ていれば馴れ馴れしくひどくあつかましいものです。
もし孫なんかの若い男性がそばにいたとすればきっと彼は憤慨やるかたないことでしょう。
高校生や学生であれば横でムッとしているものです。
それが男性というものです。隣にいる女性は親であっても自分のものとして考えているわけです。
ところが当の母親や祖母の方は嬉しそうにしているわけです。
どう見てもいい加減な男なのになぜ分からないのか、どうしてもこうも馴れ馴れしくされて俺の祖母や母親は平気でいられるのか、と。
そんなことを彼らは思うのです。
そうして、そんな不満の裏返しのようにして彼らは女性に甘えようとします。
女性に期待をするようになるわけです。それは一種の「ないものねだり」のようなところがあります。
しかしやられた女性はあまりいい気分にはなれません。
「やはり子供だ、相手として若すぎた」、なんて失望されてしまうわげてす。
年下の男性と付き合っている時、女性がふと我に返る、そんな時です。
例えば、もし年齢差が6つあったとすれば「自分が大学生になった時には相手はまだ小学校を出たばかりだった。」なーんて大真面目に考えて暗澹となったりするのです。
大人と子供時代というのでは話はまるで違います。しかし女性は混同してしまうのです。
だからって同じ年の男性をわざわざ出会いで選ぼうとするとか、年齢だけでお相手を探すというのもおかしな話です。
まあ、それはいずれ気が付くものですが。
女性のこういう考え方は、人生のパートナーとして自分を老けさせない相手がいいという理屈に過ぎません。
ある場合には年下の男性がそうである場合もありますし、ある場合には熟年男性の方がよかったりします。
どちらにしても男性が甘えられるのもほどほどなのです。
それは特に妙齢の女性に言えることです。
むしろ男性が甘えさせてやり、子供のように接してやることが必要になってきます。
男性の側にに癒されたり甘えたい願望が強いのなら年下の女性、若い女性がマッチする可能性が高いかも知れません。
おかげで疲れてしまうこともあるでしょうが、それは「癒しの代償」ということになります。
ミスマッチ
結局、要はこんなミスマッチがあることを予め覚悟しておけばいいということです。
そうしたら甘えさせてくれる女性がいて、それがまるで彼女にとって苦ではないのなら男性にとっては「嬉しい誤算」ということになるわけです。
あるいは若い女性なのにしっかりした人であれば、甘えさせてもくれるし疲れてしまうこともないわけです。これもまたよいお相手だということになります。
これを女性の側から考えれば、甘えるようなところがなく父性の強い男性であれば年下でもいいわけです。
年下なのに自分の方が未熟に思えるような男性は、むしろ自分を若返らせてくれる男性と感じるかも知れません。
また、甘えるようなところのない熟年男性であれば自分を当然に若く扱ってくれます。古いタイプの男性に多いものですがこれまた楽しく過ごせる相手というわけです。
特に熟年女性と熟年男性との出逢いにはそんなミスマッチがあることあります。
それはきっと性格など相性以上のものがあるのだと私は思います。