モラルに厳しく人にも自分にも厳しい、こういう言い方が一番ピッタリの人です。
ちょっとそんな男性を考えてみてください。
このような人を「気位の高い男性」と言ったら、それはちょっと違うかも知れません。
「気位の高い男性」と言ったら、プライドが高くそれでいて傷つきやすい男性ということになってしまうでしょう。
それはそれで困ることもあるかも知れませんが、そんな人でも折り合いのつけられる女性はいるかも知れません。
格のある女性だったり、相手に合わせる努力ができるという人であればそんな男性のプライドを受け容れて包んであげることができます。そんな女性はいることでしょう。呑気な女性というのはモテるものです。
そうではなくて、何かにつけてモラル的で人に厳しいという人が男性にはいます。
それは少し難しいタイプの男性です。多少なりとも男性にはそうした理不尽な傾向があるものですが「お安くない男性」というわけです。そうしてそんな男性は相手の過去に拘ってしまうことがあるのです。
例えば、熟年にもなれば誰でもいくらかの恋愛経験があり、恋愛の失敗も経験してきたかと思います。それは大人としてはごく普通の人生経験と言えるでしょう。
夢が破れてしまったりお互いの波長が合わないことに気がついたり、仕事や家庭環境が障害になってしまったり。
誰にでも苦い思い出というのがあります。
女性にもそういう過去はあることでしょう。
しかしそんな男性には女性の過去が気になります。つい拘ってしまうものです。
そんなことはないだろうと思うのであれば、例えばそれが失敗や過ち、AV出演や不倫といった後悔のある間違いや、「恋多き人生」という放蕩だったとしたらどうでしょうか。
これに「不潔だ」と一方的に嫌悪感を持つ男性はいます。
ほとんどオンナ遊びなどせず、現実の世間のわずらわしさと関わることのなかった人、何もそんな男性でなくてもちょっとしたことで相手の過去を許せなくなる、相手の過去に拘ってしまうことがあるのです。
それは自分自身や人生についても潔癖な人です。男性は少なからずそうした矜持を持って生きてきたのです。熟年となればどうしてもそれを曲げることができない人がほとんどです。
恋愛経験があっても純愛だったと信じている男性もいます。過去を美化しようとする男性の傾向というのはあるものです。特に「育ちのよい人」には強い傾向ですがそうなると熟年の出逢いとしてはもはや難し過ぎる相手かも知れません。
そのような男性には魅力的なところもありますが、なにしろ相手がいることです。
男性というのは人に厳しいものです。いわゆるモラハラにもなりかねない部分があるも言えます。
男性にはそういう部分が必ずあります。それは男性特有のよさ、規律正しさということでもあるのですが。
もし、そんな男性を失望させたり、がっかりさせるような過去が分かれば、関係がどんなに深くなっていたとしてもリカバリーできないほど傷ついてしまうでしょう。つまり男性側の過去との向き合い方というのが重要になってきます。
一方、女性というのは、男性がどんなに遊びを覚えていたとしても、どんな過去があったとしても鷹揚なものです。今のこれから自分に対して誠実であればいい、そう割り切れる人が多いことでしょう。
「過去は過去のこと」と考えられる女性は多いものです。女性にはただ今の裏切りが許せないものです。
いったん、受け容れられない過去があると知ってしまえばどうしてもそれに拘ってしまいます。なかなか過去を受け容れることができません。それはまるで今のことにさえ感じられてしまいます。
結婚するとなって、子供がいることから前の夫とまだ付き合いがある場合もあります。その新しい結婚相手に、なぜ離婚することになったか前夫が打ち明けたらどうでしょう。そしてそれが不倫の挙句の離婚だったら。
今は今です。それが女性です。
しかし男性は違います。自分の場合はどうなのかと現在に投影して考えてしまいます。隠せば隠したでそれ自体が裏切りということになってしまいます。
では隠さなければいいかというと、男性ならそのあけすけさにも引っかかるものが出てきてしまうでしょう。
それこそ、真剣に婚活を考えている男性ほどまだ理想が生き続けています。許せないものと感じてしまうことは多いものなのです。
とりわけ男性というのは隠し事を「裏切られた」と感じてしまいます。そうなるとそうしてできた溝を修復するのは難しいものです。
ましてや出会いをしてこれからお付き合いをしようというのです。まず過去を隠すことはできないと考えておくべきでしょう。
もちろん、不倫歴ばかりではありません。美容整形手術にしても、国籍や家系、職歴や学歴を偽ることにしても男性からすれば不倫歴を隠すことと同じことです。
女性はプロフィールを見れば望みが高く希望条件の多い人がいます。
妥協できないと思っていたらいつの間にか年齢を重ねてしまい、焦っているような人もいます。
一般的に、抜き差しならなくなるとなかなか切れないのが女性というものだと思います。何でも許してしまいがちです。だから予め最初から条件を高くしておく傾向があるのでしょう。
しかし男性の方はどうでしょうか。それこそお見合い写真などプロが撮ればどんな女性も変身できてしまうものです。
男性がいくら容姿に厳しいことを言っていたとしても、最初のハードルなどあっさりと越えてしまいます。
それから男性はまず相手のことを知ろうとするわけです。
たいていの男性にとってスタートはまずそこからです。そこに過去が立ちはだかります。男性の場合はハードルは後からやってくるのです。
女性に較べればそうした隠し事に男性は厳しいものなのです。また、許せないものは許せないと拘ってしまうのが男性です。 最初は自分を理解してくれていたように見えても、どうしても過去を知れば知るほど拘ってしまう場合があります。
必ずそれは尾を引きずります。
ですから、究極にはそういう点についてあまり厳しくない男性がいいのです。特に熟年となれば過去は常につきものだからです。
つまり「お高くない人」、そんな男性です。
繊細になってゆくのが普通のことです。
鷹揚に構えていられる男性というのは貴重です。ただ、そんな男性は男性として頼りなく感じられてしまう人が多いものです。
それでも熟年から出会いを求めるというなら、過去が原因で破局してしまうことは覚悟すべきということでしょうか。そうなったら仕方がないと鷹揚に構えているぐらいしかないのかも知れません。
負った傷や犯した不始末は必ず自分に返ってきます。
その覚悟はしておかなければいけないかも知れません。それは年齢を重ねれば分かることです。
一方で男性は自分の過去には負い目をあまり感じはしないものです。理不尽なことにも感じられますが男性というのはとかく自分のことを棚に上げるものです。女性はそうした不公平があることは知っておくべきでしょう。
熟年での出会いには過去というハードルがあります。
しかしどんなに真剣に婚活をしたとしても過去に拘られてしまったり引っかかってしまうということは起きるのです。
熟年の結婚や出会いというなら、お互いの財産関係についてはっきり別にしておくことや契約をしておく必要、そんなことはすぐにでも目の前に見えてきます。つまり双方が納得した状態が必要になります。
年齢のために短い間に信頼を築かねばならないのですから、拘りや引っ掛かり、わだかまりのない状態になって落ち着けることをまず目指すべきなのです。
隠し事はいつか裏切りとなって男性を失望させ、修復できない結果となって結局は時間を浪費することになります。
最近の女性は、相手の男性に「独身証明書」なるものを要求したりもします。これはサービスとして婚活をする人たちに提供されています。
しかし、それなら、男性側がもし「不倫の末の離婚でなかった」なんて証明書を求めたらどうでしょう。そんなサービスは昔は興信所などがやっていたものでした。今のネットの時代だったら「誓約書」みたいな認証サービスが普及するのでしょうか。
女性の過去のことに拘らない男性はあまりいません。
そうしたことにとりわけ敏感な男性だけが目立つものですが多かれ少なかれ男性は裏切られることへの恐怖が強いものなのです。それは過去への恐怖というものも含まれているものです。
相手に過去を隠すことができないとすれば、倫理的なことにむやみに厳しく見える男性は特に熟年では難しいものがあるということです。立派な男性に見えてもお相手として適当とはできないかも知れません。
お相手として適当かどうか、自分の過去はどう相手に映るか、冷静で客観的な判断というのも婚活への情熱と同様に大事なことだと思います。
逆に男性の方は最初から慎重過ぎないことでしょう。
何も相手の過去に拘るなとは言いません。自分にとって許せないこと、ご自分の倫理観を話してみればいいのです。
出逢いの相手に気を悪くさせないように慎重に気を回したとしても、結局いつか引っかかってしまうのだとしたら乗り越えるのは難しいのです。
熟年にはこれまで生きてきた積み重ねがあります。これをいまさら覆したり我慢することはとても難しいことなのです。
若い時なら気に入ったお相手となら何でも乗り越えられる、そんな自信はあっていいかも知れませんし、お互いに引きずっている過去はそれほど重いものではありません。しかし熟年となればそれは無視できるようなものではないのです。
出逢いのチャンスを目の前にして完璧を期そうとするのは若いうちならではの情熱です。自分を飾ることも普通ですし隠し事もありがちです。
しかし年齢を重ねていればもはやそれほどの柔軟さはなくなっています。まずお相手と実直な話をすべきなのです。
つまり、まず話しをすべきことは趣味やライフスタイルではなく信条や倫理観だということになります。
お互いに諦めが早くつくようにするべきなのです。
熟年であれば失敗は何度もすることはできません。
貴重な時間を無駄にしてそれを糧にできるほどもう若くはないのです。