男性の理屈や筋道は女性の感性とは対立しがち、男性論を考える

婚活のヒント

 女性についての話をしたのなら、今度は男性についての話をすべきかも知れません。

 少し前のことにはなりますが、東京オリンピックの開催前、森元総理の発言で騒ぎが起きたことがありました。

 森元総理は言ったものです、いわく、「女性を重要なポストに就かせると必ず面倒なことになる。自分の価値を高めようとして自分ばかり前に出て議論が混乱して収拾がつかなくなる。そんなことが多い。」、と。

 世間ではこの発言が問題視されました。

 いわくこれは女性への偏見であり、森元総理は五輪関連のポストにつきながらあまりに不用意な発言であるとしてさんざん叩かれたものです。
 そして国際社会からも非難され、森元総理は五輪関連職を辞任する騒ぎにまで発展したのです。
その騒動はあまりに偏ったものでしかありませんでした。

 まるで、どこかの圧力団体が自分の利益のためにわざわざ騒いでいたとしか思えないようなものでした。「魔女狩り」のようにして森元総理の発言を差別的だと断罪したのです。

 
 あれだけ露骨に「女性」というのが政治利用されたということはありませんでした。
あれで、もはや女性の社会進出の理想や男女共同参画社会などというキャッチフーズが欺瞞でしかなかったことはわかります。

 すなわちこれは逆のこと。女性にも問題があるのではないかといとう問題提起すら議論させないということであり、そこには前近代の差別的意識がまだ残っているのです。

 つまり、女性を活用しようとするのではなく、まだまだ女性を利用しようとする人々がいるということではなかったでしょうか。

 誰かが得をすることになるから、わざわざ能力のない女性でも登用せよとするわけです。

 「女性の権利」や「女性への配慮」が政治の道具にされたのです。

 女性など理解したくない、男女の差など理解したくないという人々が世の中には少ながらずいて、男女の差について正面から向き合うことをさせないようにしています。
それはもちろん、男性の側にもいます。

 しかし、これがもし結婚生活だったらどうでしょうか。

 あるいは婚活とすれば。パートナーとの関係というなら。

 もし、男女間の差を議論することを避け、表面的な薄っぺらな関係で結びついただけなら、そこにどれだけパートナーとしての意味があるのでしょうか。それはただ性を買うような話でしかありません。パートナーとはいいがたいのです。

 さて、しかしさはさりながら、感覚的、生理的に生きる女性と衝突し、スレ違ってしまいがちな男性にはどんな傾向があるのでしょう。

 男性というのは、とかく論理的、合理的に考えようとします。
 それはもちろん受けた教育によっても違い程度の差はありますが、男は総じて「筋」というものを大事にするものです。「筋」とはそれは論理のことです。

 一般論を好むのが男性ですし、女性からすれば「そんな一般的なことを話してもしょうがない」と彼女たちは呆れてしまうものです。彼女たちは個別の価値観で生きています。

 女性というのはあまり自分の議論を一般化することはしませんから、「自分が自分が」と、常に前に出ることになります。
 森元総理の話もそんな女性の話の一般論だったのかも知れません(笑)。

 男性というのは一般化できること、つまり論理性というものを大事にします。
 ですから、人から謂れのない非難や批判をされることを嫌うのが男性です。

 逆に言えばそうしたことに男性はひどく弱いものなのです。

 例えば、噂話をされて女性が傷つくものだとしたら、男性は理屈のない非難をされると激しい怒りを持つものなのです。
 周囲から寄ってたかって吊るし上げられれば男性はシュンとなってしまうものです。



 これがもし女性だったら、女性は逆切れして開き直ることでしょう。決して臆することはないはずです。
 女性はヒソヒソと噂される陰口には傷ついても、理屈や論理には強いものです。 

 論理性や合理性というのは客観的なものです。誰が聞いても納得できるものでなければなりません。

 男性と言うのは、そうした客観性に照らして自分は正当であるかどうか、それを考えることが多いものです。

 そうして、社会の中での自分の立場や根拠、すなわち「レーゾンデートル(存在意義)」というものを常に気にしているものです。別な言い方をすればそれは「体面」ということです。

 一方の女性は、まず感情で動き感覚で判断しようとします。

 快適であるかどうか、笑えるかどうか、カワイイかどうか、感情や感覚、その場の勢いにまかせることが多いものです。

 それはまるで子宮から命ぜられたように男には思えてしまいます。
 これが男性には怖いものに感じられます。

 男性の依拠している世間一般の論理性を見失うことになるのではないかと彼らは思うのです。

 激怒した女性にかなう男性はなかなかいるものではありません(笑)。
男性はそういう女性を怖れます。

 

 しかし社会や家庭の中で男性はこうした「女性」というものを意識しなければなりませんし、これになんとか理屈で対抗しようとします。

 特に、我が国は古来から女系社会でしたから男性は女性への畏怖を捨てきれません。

 欧米の歴史のように、根拠もなく女性を押さえつけるということを我が国はしてきませんでした。

 なんとか女性に対しても理屈を通そうとし、男性の役割を確保しようと腐心してきました。

 だから女性の役割というと、必ずそこには「子育て」とか「子孫繁栄、家督相続」とか、「戦さの留守中に家を守る」とか、何らかの具体的な理屈を挙げて男性は女性を型に当てはめようとしてきたのです。

 しかし今の現代の女性なら言うことでしょう。「私は私です」と(笑)。

 

 こういう価値感の違いがあるため、特に女性の前では男性はとりわけ自分の土俵である「理屈」や「道理」にしがみつこうとします。

 女性の考えをなかなか認めようとはしませんし、女性の感覚をハナから相手にしようとはしません。
だから女性の意見を正面から受け止めることをしない男性というのが多いものなのです。

 男性は女性の感覚的なことや直感的なことを退け、理屈で自分の主張を通そうとするのです。



 議論の最初にそうした女性の直感があるというだけで男性は「話にならない」と思ってしまうものです。

 それこそが男性の言う「論理」というものであり、男性がいつも念頭に置いてきた規範や義務感、合理性や筋道というものなのです。

 それらはみな女性にとっては「しがらみ」とか「勝手なプライド」のようにしか見えないものです。

 自分のことを優先しない論理など、女性には理解しがたいのです。

 結局は男性は女性の自分を中心としたものの見方というものに「理屈で」張り合おうとしているというだけに過ぎません。

 突き詰めれば男性には理屈しかなく、男性から理屈を取ってしまえばどうなのか、具体的なことだけに絞れば何もなくなってしまいます。

 きっとそれが女性の言い分でしょう。

 男性はまず子供を生みませんし、料理も洗濯も掃除もしません(笑)。


 男性が子供を産むことはありませんから、それでは自分は家族にとってどんな役割か、どんな存在かと問われればどうにも曖昧です。

 無理やりに夫のことを「一家の大黒柱」などと担ぎ上げても、ビジネスや社会が男性中心で動いているというだけのことです。女性だって本来は稼げる。

 そうして男性というのもまた、ビジネスや社会でやれること、要求されることをしてきたというだけに過ぎません。

 では男性同士が才能や能力を競えるかといえば、ほとんどの男性にはそこまでの度胸はありません。

 だから、ある意味では男性は常に自分の存在意義について女性からの視線を感じているものなのです。「果たして自分には値打ちがあるのか」、と。

 そこに漠然とした、男性として生きる不安と葛藤というものがあるのだと言えます。
 女性はそこを理解してあげるべきかも知れません。

 しかしそれでも男性というものは、そんな女性を見ながら、その視線に対抗して自分を成長させてきたとも言えなくもありません。

 それが母親であったり恋人であったり、パートナーや妻であったり、あるいは漠然とした女性像というものです。

 だから男性の理想や主義信条というのはどこか教条的で、どこからか降って涌いたように女性には見えます。それを女性を意識した裏返しと言えます。

 すると彼女たちには男性というものは「自分自身がない」と思えたりします。それが女性には不満となります。
 たいていの男性には自分よりも優先させる考え方や理屈があるからです。
 それは何も特殊なことではありません。仕事や会社を家族より優先させる夫への不満なんてことを例に出さなくても、きっと誰でも理解できることだと思います。
 男性というのは理屈が先に立ち、自分のことより優先させることがありがちなのです。

 こうした女性からの不満は男性には理解されにくいのです。

 女性の主張には必ず「自分」と言うものがあって、ご自分の感性や好みというものがあります。

 あるいは「家族」」と言うものがあるのですが、男性はそうした特別なことにまで論理を広げることができません。

 男性にはそうした個別の事情を押し通そうとすることが「ワガママ」とか「自分勝手」というものに見えてしまいます。

 よい言い方をすれば、男性というのは誰にも当てはまる「一般化」したモノの考え方をしようとしているのですが、それは往々にして男性の考えから家族や妻というものの存在を欠落させてしまう原因となります。
 そうした副作用は男性にとっては性差(ジェンダー)における弱点なのです。

 相手のことを前提とせず、世間一般で正しいとされてきたことや「こうすべきだ」ということをまず男性は優先してしまうのです。

 それが女性には許せない点なのだと思います。
 「男女の衝突」というものは、そんな時に起きてしまうのだと言えます。

 男性が妻やパートナーに対してつい「押し付け」がちなのは、世間的な正当性というものです。



 対して女性には「自分を守る」という意識があり、自分や子供、家族のことがまず第一です。

 また、そうした世間的な正当性というのは、実は男性社会特有のものでしかなく、嘘があることもあります。 女性には「おかしい」ということも多いものです。
 だから、例えば会社や組織の命令に従って捏造や犯罪を犯してしまうことは女性には理解できません。
 それは家族の人生を壊してしまいますし、自身を破滅に追いやってしまいます。

 女性にはこうした問題で男性が葛藤することすら理解できないでしょう。

 そうした個人を超えたものを「理屈」として押し付けられることは女性には「抑圧」にしか思えないのです。

 今、女性が社会進出を果たし、社会的な立場が大きくなってきた女性の存在ということを考えると、真実を追求しようとしたり馴れ合った腐敗を嫌う世論が大きくなってきたこととの間には相関があると言えます。

 これまで、男性中心の社会で男性が主張してきた合理性や論理というものは、事実が隠されたり、いくらでも方便が使え、都合よく理屈を作ることが出来る世界でのことでした。

「正義」と言いながら、必ずしもそれは貫徹されるものではありませんでした。

 ところが社会進出を果たした女性たちは、自分が本能的に正しいと感じたことを追及するようになりました。

 一部の女性たちは、もはやテレビやメディアの言うご都合主義の「理屈」を鵜呑みにすることはありません。

 つまり今の時代というのは、これまで男性が振りかざしてきた合理性や論理性というものが、女性によって試されていると言うこともできるかも知れません。

 ここから、最近つとに言われている「女性取締役起用を3割に引き上げよう」とか、女性の管理職の割合を欧米並みの水準に、などというスローガンには一定の意味があることが分かります。

 こうしたスローガンはただの数値目標であったり、むやみに女性を起用しようとすることの無意味さが言われることがありますが、女性の傾向と男性の論理性の対立として考えればどうでしょうか。一定の割合があることで抑制が期待できるかも知れません。
 それを利用して企業のガバナンスを適正なものにしたり企業価値を向上させる施策の発案につなげられるかも知れません。
 すなわち、女性と男性が対立することで意味のあるものが生まれるということです。

 あながち「女性管理職を3割以上に引き上げる」というスローガンが間違っているとは言えないのではないでしょうか。

 昔から、男女の関係として一番理想的とされてきたのは、男性のワガママや先走ったプライドを女性のパートナーが温かく見守ってくれるという、いわば母性的なパターンだと言われてきました。

 男性の方は、女性をひっぱっている気にもなって元気にもなる。女性の方からすれば、そんな男性の実直さを小馬鹿にしながらも支えてあげる、そんな構図でしょうか。

 しかし今、女性にも女性なりの理屈が育ちつつあります。

 それは自分を大事にするとともに、嘘を排除し、正当性を追及するという感覚です。それは女性特有の理屈です。

 男性はそれに向き合わねばなりません。



 今は女性の側も決して家庭に依存する人生ばかりではなくなりました。
 女性も自立した暮らしができるようになりました。

 ネットという情報社会ということもあって女性の意見や理屈が大いに議論される時代です。

 ですから、夫唱婦随、「夫婦善哉」のような関係で安らぐ女性だけかと言えばどうでしょうか。もはやそうとも言い切れないかも知れないのです。

 そうしてブーメランのようにまた返ってきて、男性に要求されることはますます強くなり、真実や透明性が必要になってきたというのが今の世の中というものではないか。

 まず自分たちの目で見てみる。
 真実を見ようと努力してみる。

 そこを出発点として男性の理屈でも女性なりの感覚でも、お互いによく考えてみる。

 その上でパートナーの男女二人なら二人が「正しい」と思う道を選んでゆくのです。
 これからはそんな男女の違いを踏まえた協働関係が理想になってゆくのかも知れません。
 婚活ではそんな、今の潮流を見失わないようにしておきたいものです。男性の側、女性かの側のクセを知ってぶつかり合うならスレ違いは起きません。

 「男女の違いを認識する」というのは、そういうことではないかと私は思うのです。


 by 婚活係長


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