男性にとっての「議論」というもの
今回のタイトル、殿方におきましては気をつけていただきたいことです(笑)。
思い当たるフシは男性なら誰にでもあるのではないか。
議論や論争の中でつい声を荒げてしまうということ
注意したいのは特に相手が女性の場合です。
女性を相手にして議論してると時々男性は冷静でいられなくなることがあります。
男性同士ではそういうことはあまり起きません。
なぜでしょう。
女子には不思議な話かも知れませんw。
しかしこれは実は簡単なことで、男性同士の関係というのは優越が自ずと決まってしまうものだからです。
強い者が上に立つように男性同士では序列が自然と決まるものなのです。
男同士では誰がリーダーになるかが自然に決まるからなのです。
まあ、グローバリストとかダボス会議の政治屋みたいな、リーダー気取りの連中たちはそれを狙って「自分たちは世界のリーダーである」なんて言ってるのかも知れませんがw。
しかしそれにしては彼らは議論から逃げるばかりです。
せいぜいカネぐらいしか彼らにはありません。
ああした連中など劣等で幼稚な思考しかなく、虚勢を張っただけの偽物でしかない。
しかしともかく、男性同士の間では劣等な考えをしていたら下に見られるだけです。
議論をしても劣った考え方をしていたら自然に下に見られるようになります。
そんなのが群れを率いることはできないからです。
群れが生き残れません。
だから男性同士の議論というのは穏やかに進むものなのです。
退いたり遠慮したり、内心は小馬鹿にされてしまったり、ともかくそうして自然に収拾がつく。決着がつくのです。
まあ、だからと言って、動物のゴリラのようにボス争いに負けたからと群れを追われることはありません。
穏やかに目下の者として生きる、庇護される者として尊重されるわけです。
それが男子同士の掟であり、それは生き物としてはごく自然なことです。
本能、男性の女性への気持ち
しかし、これが相手が女子だとなかなかそうはゆきません。
パートナーでなくとも、女子は女子です。男性というのはすべからく敬意を女性に対して持つものです。
子孫繁栄をする性の対象としての尊重が無意識にでも行われるのです。
男性は性として女性は別なもの、女性を特別なものと区別しているのです。
他方、女性の側にはそうした意識は薄いものです。
ですから、「男女の摩擦」というのが起きがちではあるのですがw。
こうした男性から女性への意識というものには、時には男性が女性より優越した性であるとする考え方が含まれることもあります。つまり男性中心主義というものです。
しかしそれも、女性に対しては男性は遠慮や父性的な保護があり、尊重しようとする心理が働いているからに他なりません。あまり問題にしてもどうかという気はします。
いわば潜在的にせよ男性は女性をパートナー関係を前提として見ているということなのです。
それがために男子というのは相手が女子だと議論でつい声を荒げてしまうことがあるのです。
付き合っているわけでもなく潜在的なものに過ぎなくとも、子孫を作る相手の性がおかしな説や理屈に固執したりすれば我慢がならないのです。
それは実際には繁殖の相手、たとえパートナーでなくても男性の本能がダメだと言うのです。
なぜ女性を尊重せねばならないか
性別として男性にとって繁殖の相手である女性は優れていなければならない、そう男性は思っています。
そうして彼らは選ばれて子孫を残し、優秀な遺伝子が継承されてゆきます。ごく自然な子孫繁栄の法則です。
しかし今、長い歳月を経て今ここで現代を生きている人たちはみな残されてきた遺伝子です。
それが現在です。
みなが優秀で生き残った生存競争の勝利者というわけです。だからみなを尊重しないわけにはゆきません。
つまり女性ならすべからく男性は何らかの敬意を持つものなのです。
そうでなければ「男性」とは言えないでしょう。オカマですw。
こうした感覚というのは本能です。
子供を作るつもりがないとかゲイであるとか、LGBT、それらは実はみな社会的なものです。
先天的なものではなく、後になって社会から影響を受けたり後天的に作り出されたものです。それは人間本来のものではありません。
どうして男性は女性を尊重せねばならないのか
この問いには本能以外には説明がつきません。
男女同権だのLGBTだの、そうした後付けの理念というのはあくまで近代社会において作られたかりそめの理屈に過ぎないのです。
どうも最近の世の中は、本能的なことと論理的なこととの折り合いをつけないまま進んでしまっているように思えます。
説明されないままだから矛盾が歪み、歪みがまた矛盾を作り出してしまうのではないか。
男性である者が女性選手として女子ボクシングの試合に参戦し、女性選手を男性的にノックアウトして金メダルを獲得する、どう見てもおかしいでしょう。
彼は「自分は女性だった」と言い張っているだけで生物学的には男性なのです。
男性が女性相手につい怒鳴ってしまうこと
私も先日、家内と議論した折につい怒鳴ってしまったものです。
それこそ興奮して、って、別にエロいことからではありませんがwww(汗)。
家内が議論にならない議論を仕掛けてくるものだからついアタマにきてしまったのです。
しかしこういうことは何も男女関係がなくとも起きることです。
何もパートナーでなくとも、潜在的に女性は男性にとってはそうした男女関係を前提とする傾向があるものだからです。
パートナー関係であれば男性はつい怒ってしまいがち、それも言えますが、パートナーの関係でなくとも男子はついやってしまいがちなのです。
ここまでくると女性にはなかなか理解できないかも知れません。
パートナーでもないし夫でもないのに、赤の他人の男子からそうした気持ちで対峙されるということは女子には理解不能です。
しかしそれが本能ということなのです。
こうした男子の女子に対する感情には一種の種としての愛情が含まれていますw。
いや逆に、もし女子の方で、男子からそんな風に怒鳴られた経験がない、そんな人がいたとしたらちょっと心配した方がいいかも知れません。
それは真剣に相手をしてくれてた人がいなかったせいかも。
それこそ男子は全身全霊を賭けて議論を尽くそうとします。
どんなにくだらないことでも取るに足りないことでも、議論を掘り下げて何らかの結論に辿り着こうとするものです。
そうした「生産活動」を男性は行うものなのです。
考えること、議論すること、それは生き残ることにつながることだからです。
女子が快適さを求めたり自分の気持ちを知ろうとすることとは違うのです。
女子が快適さを求めるのは子を育てるための本能です。子供のためには快適な場所が必要です。
男子は子を作るためにまず生き残ろうとします。相手の女子を得る。そのためには知恵が必要になるのです。
男子の追及する真摯さと生理
たとえ自分よりも劣っていると思っている女子を相手にしているとしても、男子は真剣に議論に取り組もうとします。
それは男子の本懐、プライド、レーゾンデートル(存在意義)です。
それは真剣なだけに、潜在的なものだとしても、女子という相手に対しての愛情が前提であるだけに、女子の受け容れがたい非合理性や誤った理屈は許せません。
お前がそんなにバカだったら俺は許せん!
君がバカな理屈しか考えられなんて、受け容れられない!
これが男性の側の理屈というものです。そうしてつい興奮してしまいます。
結論の出ない問題を二人で深耕するのならともかく、議論において理屈が狂ってたり前提がおかしいとだんだん男子はアタマに来てしまうのです。
また、女性特有の思い込みというものも男性は怖がるものです。
それは宗教に走ったり妄信してしまうような生理的な思考です。男性はこれを嫌がります。
そういうやり方では確率的にしか生き残ることが出来ないと男性は思うからです。
たまたま、運よく、巧い具合に、そうした偶然を男性は受け容れません。
必然が男性を動かすのです。
男性はよく生き、よく死ぬことが常に心のどこかにあるものです。
睾丸、玉袋、陰嚢、キンタマが男子にそれを命じているのですw。
それは男性にとっての生理的な側面だと言えます。
よく女性は感情的で男性は理性的などと言われますが、男性にも感情的で生理的な部分があるのです。それが男性にとっての論理性、一貫性ということです。
試しに男性の陰嚢を掴んでみれば分かります。
そうされて論理的なことを話し続けられる男性はあまりいません(笑)。
気が散ってしまいます。
陰嚢、男子はそこで精子を作り、子孫繁栄の素を作るからです。
キンタマが縮み上がる、これもそうした肉体反射のひとつですw。
男性にはこうした生理面から優先するものがあります。それが理屈であり論理なのです。
男性にとってバカかそうではないかはとても重要なことなのです。しかしそれはキンタマを掴まれた程度で揺らぐようなものではいけないのです。
男女の言い分の齟齬
付き合っている女性がバカでも困らない、そんな男性が果たしているものでしょうか。
相手なんていつでも交換すりゃいい、そんな関係だと思っていたらそうした割り切り方ができるのかも知れませんが。
まあしかし、「バカなことを言うな」、なんて、そんな風に怒ったりすると決まって女子から男子は言われてしまうわけです。
「だったら説明してアタシを賢くしてよ!」
落ち着いて激高せず話さなくてはアタマに入らないではないか、ということです。
生理的に考える動物である女子を生理的に不快にさせたら彼女たちには考えられないのです。
分からないのだから落ち着いて分かるように教えてくれ、分かるように説明できないのは説明がヘタクソなのだ、そんなことになります。
それが自分の理屈に対する男性としての真摯な態度というものではないか、そんな反論がきっとされてしまうことでしょう。
これには男性はとうてい言い訳はできません。
また、ほとんどの男性はひたむきさや真摯な姿勢は実直さであると考えます。
それは隠さないこと、嘘をつかないこと、正直な反応をするということです。
それをみな男子は信じています。
お前が可愛いから怒るんだ!
これはあまりによくある男性特有のセリフです。
俺は素直な人間だからアタマに来たら自然に怒る、怒鳴るのだ、自制はあまりしない、できない、正直であろうとしているからだ。これがそんな男性の言い分になります。
しかしそれは女性には理解されないのです。
可愛いのならずうっと、可愛がっているはずで、一切、怒ったりするわけがないからです。
どうでしょうか。
可愛いと思っているなら可愛がれ、それも際限なく、永遠に、いつまでも、どこまでも。こうした言い分に応えられるでしょうか。
それは男性の考え方を越えたものです。男子には付いてゆけない。
しかし実はそれが女子というものなのです。
そんなことが男子にできるでしょうか?
永遠の愛の誓いです。永遠に可愛がるということです。もしそれに倦んでしまうようであれば、その男子の態度はどれだけひたむきだと言えるのでしょうか。結局、ただ忍耐が足りないのではないか。
つまり真摯とは言えないのではないか、それが女子の理屈です。
すなわち、怒ることもなく永遠に説明を続けてみたらどうなんだ、ということになるわけです。
しかし男性には「永遠」という感覚は女性ほどには理解できません。だから永遠に怒り続けることもないと男子は思っているわけです。
「自分は一線を越えることはない」なんて、男子は安心しつつ怒ったりするものです。
しかし女子には永遠というものが理解できています。
永遠の美しささえ希求します。それが男子には理解できません。
だから女子はパートナーの男性の怒鳴り散らしが永遠に続くかもしれないと思ってしまうのです。
そんなスレ違いが決定的になって離婚に結びついてしまう、こういうことはあまりにもよくあることです。
議論で怒ってはいけない
「怒ったってしょうがない」、いや、正確には違うのです。
「男子は女子に怒ってはいけない」のです。
それは私にしてもよくよく自戒はしていますがなかなか難しいものです(欝)。
つくづく自分のハンパ者ぶりを思わずにはいられません(泣)。
私もこのお話は自分への自戒も込めてお話するしかありません。
そしたら相手がグローバリストや戦争屋の悪魔たちだったらどうなのか。それなら怒れます。
むしろ怒らないといけません。
世界中で殺戮を引き起こしている連中です。武器で儲けるためにわざと戦争を起こしてきた連中、副作用があると分かっていてワクを打たせ、カネのために多くの人類を殺害した連中を私も許せません。
それこそ永遠に許してはなりません。
男性にそれができるでしょうか。
永遠に怒り続ける、ということを。
そこで女性の生理的な部分が必要になります。
彼女たちには永遠に怒り続けるエネルギーがあるからです。
男性が生き残るにしても女性の生理的な部分が必要なのです。
議論で男子が女子相手に激高してしまうのは禁物です。
★
それは間違いを諌めたり注意したりすることとはまた別の話です。議論に関しての話。
つい男子が陥りがちな間違いなのです。
また、女子は雰囲気に呑まれやすいものです。
それは彼らの生理的な感情に由来しています。
そこで怒鳴りつけたりすれば議論が進みません。それはしばしば男性のズルさとさえ女性には受け取られてしまいがちです。
議論に負けそうになるとオトコはすぐ怒鳴り散らす!
こういう言われ方は男子にはコタえますw。
男性特有の攻撃性を議論に持ち出すことは卑怯なやり方なのだ、と。
そうして非難さえ受けます。怒鳴り散らし、男性が常々嫌っている卑怯な部分を曝け出してしまうのはどういうことなのか、理屈に欠陥があり結論がおかしいことを隠しているからではないか、と。
やがてそんなことになってしまいます。
そんな言い方は男性にとっては恥辱です。
それに、見えないほど小さなことでもどんなおかしな理屈でも理はどこかにあるはずなのです。
そんな発見をしたいから二人で議論しているのではなかったか。
「馬鹿げた理屈」などと女子の話を受け止めるべきではありません。しかし怒ってもいけないのです。
男子に求められる忍耐
殿方はついついそういう怒りに陥りがちです。
もしかしてこいつは誰かに洗脳でもされてるんじゃないか、どっかから悪い影響でも受けてるんじゃないか、そういう心配さえ起きます。
確かにそれは愛情のひとつです。
しかしそれでも、議論をしているのであれば怒ってはいけないのです。
だったら「お前は何かの影響を受けてるんじゃないか?」と、そんな風に言ってみればいい。
まあ、そうしたら今度は女子の方が怒り出すでしょうけれどもwww。
相手がどんな馬鹿なことを言っても、どんなに短絡的な理屈を振り回しても、どんなに簡単な構図に騙されても、どんなにその論理性がおかしくても、
どんなに、どんなに憎たらしく知ったかぶりのようにして言い返されたとしても、
どんな・・・(略)。
ゴ、ゴホン。 新型のコロかなwww(嘘)。
とにかく、女子との議論では男子は声を荒げてはいけないということです(笑)。
言ってみれば男性にはそういう忍耐が求められるということです。
その忍耐は苦痛を伴います。
どうして男性の側だけが耐えねばならないのでしょう。分かりますw。だから不満も起きます。
なにしろ、ともすればそういう穏やかな態度を取ろうとする時、男性には相手を下に見ている感じがしないでもありません。
それは公正な態度じゃないと男子は感じます。
相手の女子と親密であればあるほどそんな感覚が湧く。
疑問が沸く。すなわち、「これはオトコとして実直な態度ではないのではないか」、と。
「ふふん、こいつは分かってねえな」、男性相手だったらイザ知らず、女子を相手にして男子はそんな気持ちではいたくはないのです。
だから真剣に話せば話すほど怒りが生じてしまうことがあるのです。
え? これがつまり「アンガーコントロール」? いや、違うでしょう(笑)。
また訳の分からないキャッチフレーズが世の中に出てきましたw。
怒られたくない連中、そのくせ自分の方はカサに着て当り散らしたいような連中、実直でないオトコのクズのような連中がしばしばこうした言葉を使いたがります。
たいていこういうのは男性です。
真剣に向き合うことのない小ズルい連中は怒鳴られるのを嫌がる。
しかし女子が嫌がるのは違うのです。彼らは生理的に嫌がっているのです。
それは男子の誠意が試されているということです。
正々堂々とした態度、それが男子の本懐なのですから。
こううした忍耐は男性にこそ必要なことなのです。
自己矛盾は男子らしさを弱める
こうした男子の突然の怒りや激高の理由は彼ら女子には分からないものです。
それで愛情が伝わることもありません。
つまり結局、男子の独りよがりでしかないのです。男子としてはそうした非難を受け容れることはできません。
しかし自分の誠実さや真摯な姿勢を心がける男子ほど逸脱しがちなものです。
ところが怒鳴ればその逸脱を許してしまうことになります。
そのため結果として誠実な態度ではなくなってしまうのです。
真摯な姿勢でいようとしたら逆に真摯ではなくなってしまう、
そんな自己矛盾の落とし穴に陥るのです。
それは男子の本懐からすればとうてい受け容れがたいことです。
みっともないところに自滅してもしょうがありません。
だからこそ議論で激高して女子に怒鳴ってはいけない。
そのためには永遠に女子を可愛がることができるかどうか、つまり永遠に説明を続けることが出来るかどうか、その忍耐を自身に問うことです。それが男性にとっての誠意だからです。
もちろん、怒ることが必要なこともあります。しかしこれは議論です。男性が相手の場合とは違い、敬意を持ち、何らかの有意義な結論を得ようとするその相手なのです。
それにはどうしたらいいのでしょうか。
何も自分の怒りを抑えようとする必要はありません。自分に矛盾がないよう心がければいいのです。
激昂してしまうことは女性の論理性を邪魔してしまう、そのことを男子は知っていればいいのです。
真摯な態度というものを男子はどうしたら維持できるのでしょう。
深く考えることが必要かもしれません。しかしそれは男子として生きる目的、存在に関わることです。
それは男性のプライドにも関わることです。
男性は意味なくして生きていくことはできません。生き残れないのであれば生きている資格はないのです。
気をつけたいものです。