やはり男女のことですから相性というのはあります。
それは概念としてはあまりに曖昧で、「相性」などと言っても信じられないかも知れませんが、「どうしてもダメ」という相性はあるのかも知れないのです。特にこういうことは出逢いの最初では大事なことかもしれません。
それは出逢いの最初には重要なことです。長くパートナーとして一緒の生活をしてそこでコジれてしまうことはよくあることですが、それとはまた違うものです。そこで言葉として「相性」などと言っても今更のようなもので、それを理由としたような熟年離婚は愚かなことに思えます。
しかし出逢いの初期、マッチングできたと思っていざ会ってみた時、この人と波長が合うのか、相性はどうかを考えることは間違ってはいないと思うのです。
言葉使いや振る舞い、それはそんなちょっとしたことです。そういう僅かなことでの違和感。
婚活では決して軽んじてはいけないことだと私は思います。
そういう「相性問題」というのはあまり気がつかないものです。
お互いに礼を尽くして尊重し、節度を守っているつもりでもなぜか衝突をしてしまいます。そしてその理由が思い当たらない。
そんなことが出逢った最初から気になってしまうなら、まずは一度、立ち止まって考えるべきかも知れません。
このことで具体的なことに絞って言うなら、「カチンと来る」というのがあります。
男性が女性に、あるいは女性が男性のひとことに、つい「カチン」とくることがあるのです。
何気ないひと言なのに妙に引っかかってしまう。
単に価値観の違いなのにどうしても受け入れられない。その言い方、表現の仕方。
私にも経験があります。
そういうことを女性から言われたことがありました。
もうそうなってしまうと拒絶しかありませんでした。深く立ち入った話などできようもありません。
これは何かのシグナルだと思って、諦めるしかありません。むしろ、私はそういうことが早めにわかったことを喜ぶべきかもしれないと思ったものです。
お互いにいい雰囲気になれた相手がいました。
お見合いパーティで最も話が合って、カップリングが成立して、お互いに惹かれ合います。
パーティーでは他の参加者から祝福されたりして。
ところが、いついつに会おうという話になった時のこと、なぜか相手が突っかかってきた。
デートの場所を選ぶのに、どこそこがお洒落だから、と、私はそんなことを言ったのです。
すると、「なぜ会うのにわざわざお洒落な場所にするの?」と、イライラするように聞いてきた。それがキッカケです。私は「君には素敵な場所で会いたいと思ったから」と答えた。
その言葉が相手をムカっとさせてしまったようでした。
こちらには相手がイラッときた理由が分かりません。
相手の女性もその理由は上手く表現できなかったでしょう。
結局、それが相性だということがわかったのはずっと後のことでした。
私は気分を治してもらおうと、当時珍しかったアイコラみたいなのをメールで送ってみたりもした。
機嫌を直してもらうよう冗談めかして、彼女の写真をまだ珍しかったビクトリアシークレットのドレスの写真に合わせて送ったのです。
「君にはそんな雰囲気が合う」私はそう言い訳したつもりでした。「分からない」と妙にかたくなな彼女に私の感じたことを説明したつもりでした。
それがまた彼女の怒りに火をつけてしまいます。どうにも収拾はつかなくなりました。
「キモい」、彼女はそうは言いませんでしたが、今から思えば私の方も随分とキモいやり方をしてしまったものですw。ただ、私の方は何か彼女のコンプレックスを感じたということはありました。それは私ではどうにもすることのできないものです。ただ、そのご自分のコンプレックスの扱い方が私と彼女とではまるで違っていた。
人と人には相性と言うものがあります。
合わない人とはどうしても無意味な衝突をしてしまうことがあります。
それはちょっとしたことです。そして致命的なことになったりします。
しかしお互いに実直でないとなかなかこういうことは顕在化しません。でも、ずっと後になって、それこそ結婚生活を何年も送ってその後、今更のように「合わない」などと気がついたとしたらどうでしょう。悲劇です。今、世間を騒がせているあの結婚にも同じことを感じずにはおれません。
これも先日にお話ししたこと、EQ、エモーショナル・クオリティということなのでしょうか。
私にはその本質はまだ分かりませんけれど、意味もなく衝突してしまうということはあると思っています。それが相性ということなのではないか。
そういう人とは、出逢いの最初ならむしろきっぱり諦めたほうがよいかも知れません。
どんなに容姿が好みでもお互いに性格がマッチしたように思えても、いずれ必ず大きな亀裂となることが予想できるなら諦める方がいいのかも知れないのです。
私の場合、最後は電話口で長々とやり合って、それこそコジレるだけコジれましたから、それがよかったかも知れませんでした。おかげでその出逢いを引きずることはなく、今はよいパートナーに恵まれています。
あの時、議論にならない彼女の不満をまるでセラピストのように聞いていた時、考え方がまるで違うと私は感じたものです。
物事へのひたむきさ、前向きさ、正直さ、自分に向き合う勇気、私からすればそれは当然のことですが、それは相手からすればどうだったでしょうか。粘着質、身の程知らず、馬鹿正直、自分中心のエゴイスト。
見方を変えればいくらでも違う側面を言うことは出来るのです。
そして、その時はお互いが見つからない言葉を捜しながら、どんどんひっかかるものが大きくなっていきました。
もし、あそこでお互いに我慢したりなんかしていればどうだったのか。手遅れになってからでは後戻りするには遅いということになっていたかも知れません。
結局、出会いには直感も必要ということなのでしょう。
何かよいツールはないか、マッチングのためにそんな相性を知る方法はないか、誰でも藁にもすがりたい気分だと思います。
マッチングとはお互いの条件や相性がまず合うというところです。そこから直接お会いしてみようと思うところ。お互いに好意を持ち、結婚へ至るかどうかの前のこと、最初に直接お会いするまでのことです。
そこを間違うと困るかもしれません。
会ってしまえば好意に発展することもありますし、多少のわだかまりがあっても我慢してしまうのが人間というものです。
そうして結婚し、何年も経ってから実は合わなかったと気付くのは大変なことです。
もちろん、こういうお互いの違いというものを乗り越えることは人間ならできることかも知れません。相性などと言ってもただの腹の虫であることも多いものだからです。
ただ、そんな時、意固地になって亀裂ばかりを深めてしまうというのも人間です。
もちろん、これまで一緒にいた時間が解決してくれるかも知れません。相性が合わないことに今更に気がついたとしたらどうでしょう。それはきっとこれから先もうまくやれるということではないでしょうか。
でも、ことは婚活という結婚のための出逢いとなると別です。相性と言うものがあると認識していないと、最初にどうしてお互いをもっと分かろうとできなかったのか、それは悔いとしてきっと残ってしまうかも知れません。
それが婚活で相性ということを特に意識すべき理由です。
しかしそんなことを判定できる万能のツールがあるかどうか、それは分かりません。
コロナ騒ぎでストレスが溜まっているといいます。こういうストレスのかかった時でなければ見えない人間の内面というものもあります。
「相性」というのは漠然としていて掴みどころがないものです。
ただ、今は相性というものを考えること、それを大事にすべき時代のように思えます。
早くからお互いに分かっていれば後悔することもありませんのに。