「歩きやすいパン」、会話のとば口のヒント

会話のヒント

話のとば口になる最初の言葉

 
 今回のタイトル、「歩きやすいパン」という部分は少し意味不明に聞こえるかも知れません。
 では「歩きやすい靴」としたらはどうでしょうか。
 あるいは「歩きやすい天気」と言ったら。
 
 私が話題にしたいのは「パン」や靴、天気についてのことではありません、「なになには何々である。(だと思う。)」そんな形容表現の形式についてなのです。
 それはすなわち「話のとば口」ということになります。
 
 今回は言葉の問題、会話の最初のとば口についての話題にお付き合いいただこうと思います。
 もちろん、婚活とも関わりのあるお話です。
 

 よく婚活では「気軽に話しを始めましょう。」とか、「お互いのことをざっくばらんに。」とか、「話題が見つからなかったらまずは共通の趣味のことから始めましょう。」なんてことが言われます。

 
 注意したいのはこれは正しくは「会話を始めるヒント」ではないということです。

 会話がどう成立し、どの方向へどのように動いてゆくか、それを示したものではありません。

 会話に対する姿勢や態度のことを言っているのだと言えます。それは誠実に話そうとか、話題を積極的に見つけようとか、そんな気構えのことだと言えます。
 
 「話題がなかなか見当たらない」、確かにこれはよく言われる話です。
 しかし話題が見つかったとして、それからどうするのでしょう。
 そこからイザ、どう切り出していったらいいのでしょうか。
 
 当然に最初の言葉があります。一番初めに切り出す言葉です。
 それをどうするかというのは意外と難しいものなのです。
 
 なにしろ続けて会話を成立させねばならないわけです。話が盛り上がらないといけません。
 こちらの伝えたいことの意味を分かってもらう必要があります。
 そして会話を進める必要があります。そうして、お互いが理解しあうという方向へと話を広げてゆきたいわけです。「会話」というのはすべからくそうしたものです。
 
 ここまで言えばその難しさが分かるかもしれません。
 趣味の話題から始めたとして、結局、趣味のこと書評や映画評を交換するだけで終わってしまってはしょうがないのです。
 それは結局「話しのとば口が大事だ」ということになります。
 
 すると>それは、たいていは何かを形容詞表現するところから始めるものではないでしょうか。
 「私は何々が好きです。」とか、「私はブログをやっています。」。
 結局、こういう言い方は相手の突っ込みを期待しているだけになります。次に相手に突っ込んでもらうことを任せてしまっているのです。
 そうなると会話がどんな方向に進むかは相手次第となります。つまり「自己紹介」です。
 
 「せっかく初対面で雰囲気はよかったのに自己紹介だけで終わってしまった。」、こんなことはよくある婚活の嘆きではないでしょうか。
 会話が成立しなかったのです。
 婚活パーティでも実際にそんなことが非常に多いものです。
 自己紹介、プロフィールだけで終わってしまうことはよくあります。だから主催者はプロフィールシートなどで工夫するものです。簡単に済ませられることはプロフィールシートで、そう気を利かせてくれるのですが、あまり上手くはいかないのが常のようです。

 

 しかもパーティとなれば忙しいものです。次から次に相手は変わります。
 挙句の果てには「もう何度も同じことを話したろう」、なんてことになってウンザリしてしまったり(笑)。
 だから形容表現から会話を始めるのが一番ということになります。
 


 命題を投げかけて始めることになるわけです。
 

形容表現「歩きやすいパン」


 さて、物事を形容する表現というのは、そこから「話しかける」、「話しを聞いてもらう」、そんな「話のとばクチ」が容易にできるものです。
 そんな形容表現の中で「歩きやすいパン」と、そんな風にお話を始めようとする、そんなとば口、「取っ掛かり」にするタイプがひとつあります。それが「歩きやすいパン」という言い方。
 

 しかし「歩きやすい」ってことと「パン」というモノはいきなりは結び付きません。

 では「糖質を控えめにしていて腹持ちがいいのに重たくない、だからたっぷり食べてもすぐに歩き出せる。」、そんな説明があったら割と納得できるのではないか。
 
 別にこれは使い方を間違った表現とはできません。

 聞けばちゃんと納得できる話になるのです。
 ただ「歩きやすい」なんてパンを形容するのに常用される表現ではありません。だから少し違和感があります。
 パンであれば「しっとり」「もちもち」「甘い」「食べやすい」そんな形容が普通です。
 食べ物には食べ物によく馴染む形容詞、言葉があります。
 
 それなら「腹持ちがいいのに重たくないパン。」そういう形容表現の方が親切だということになります。「だから歩くのに都合がいいパン」と、そういうことになります。

 しかし初対面の会話は「次」というのがなかなかなかったりします。もたもたしていると終わってしまうのです。

 だからここはそんな簡潔な形容表現にしておいて投げかけるというわけです。
 そして「それは実はね」と、説明をこちらからさせてもらうというわけです。
 会話における「ファースト・ギャンビット(最初の一手)」というわけです。
 
 他に例を挙げれば、
 
 「仕事しやすいカバン。」とか。
 「元気になるサプリ。」これもちょっとそんな感じでしょうかw。
 要は、どこがどうしてそうなったのか「説明が入らないと分からない形容表現」ということになります。
 「どういうことかな?説明してくれませんか。」ということになります。
 
 こんな風にわざわざ謎解きのような表現をすることには次の段階として説明をさせてもらうという意図があるからです。
 具体的に婚活に関して言えば、こういうことになります。
 
 「ボクは歩きやすいヤツだとよく言われるんです。」
 
 え?
 歩きやすいヤツ? 話しやすいじゃなくて?
 「あ、やっぱりひと言では分かりませんね。いや、つまり、散歩やデートにしてもボクは相手に巧く合わせられるということらしいんです。」
 
 なんて感じで最初のとば口、話の取っ掛かりからこちらの説明を聞いてもらえるわけです。
 セールスなどではよくある言い方と言えるかも知れません。
 

形容表現「歩きやすい靴」

 では次の「歩きやすい靴」という言い方はどうか、これはまた別な種類の形容表現ということができます。
 この意味は誰でも分かります。そのまますっと耳に入ってきて通じます。
 
 「歩くのに都合よく作ってある靴」ということです。
 靴で人は歩きます。
 単純明快です。
 ストレートに自然に入って来る。

 
 しかし、どうでしょう。
 考えてみればそんなことは当たり前のことです。
 わざわざ歩きにくい靴を履く人など誰もいません。
 なぜ「歩きやすい」などと断っているのか、よくよく考えれば妙な形容なのです。
 
 「使いやすいハンガー。」こんな言い方にしてもそうでしょう。
 
 なんでわざわざ当たり前のことを言うのかw。
 それは、暗に歩きにくい靴が世の中には多いのだ、使いにくいハンガーがたくさんあるのだ、と、しかしこれは違うよと、そんなことを言いたいのです。
 そこにはそんな主張があるのです。
 
 ハンガーと言ったって、使いやすいものとそうでないものがある。みんな同じではない、これは違う、そんな主張なのです。
 実はさりげないように聞こえますが他の靴をクサしているわけです。
 それには気づかれないようにしたいものです。
 

 どだい普通に靴を履いてみて、試着するにしても、「あら、この靴は歩きやすいわね。」と言ってもらうのが常です。
 売る側から「歩きやすい靴」と評価するのは決め付けに近いことです。人によって感じ方は違うことでしょう。

 靴屋が自分から「歩きやすい靴」と言ってしまえば一方的な主張でしかないのです。
 本当は人が決めることなのですから、アピールになっていることは意識しておくべきです。
 
 婚活で「ボクは正直な人間です。」なんて、なかなか言えることではありません。
 それだけにとてもストレートで相手にはギクりとするものがあるかも知れません。
 こんな形容表現に隠れているトゲには気をつけたいものです。



 

 ちなみに、「実直さ」というのは人間同士の関係ではとても大事なことですが、結局、究極にはそれは「ヒネクレた」態度ということに尽きると私は思います。
 
 正面からズバズバとモノを言ったりすることは実は実直さとは言えないからです。
 人がそれをどう受け止めるかを考えてみれば際どくて危ないものです、それを実直でありたいという人が知らないはずはないのです。 
 そういう偽善が見透かされると致命的です。
 だから本当に実直な人というのはむしろヒネクレたことを言う傾向があるものです。
 それはイジけているのとは違いますが、自分を批判してみたり裏事情をバラしてみせたりする。自虐的な言い方がまま実直に思えることが多いというのは決して間違ってはいません。

 

 それは「あなたは正直者であるか」なんて、古くはピラミッドのスフィンクスで有名な問答ではありますが、まあ、そんな話はまた別の機会にw。

形容表現「歩きやすい天気」


 では次にこんな言い方はどんな会話のとば口でしょうか。「歩きやすい天気」とは。

 天気と歩くことには関係があるのか、「ない」とは言えません。
 歩きたくなるような気持ちのいい天気というのはあるかも知れません。誰でもなんとなく意味は分かります。
 
 しかし雨でもなければ天気の区別など特にないのではないか。ちょっと不思議に思ってしまうものです。
 
 それは「散歩に適した陽気」ということでしょうか。
 「歩きやすいパン」というような謎解きではありません。これは形容として受け止め方の違いを考えてしまう、そんな言い方です。
 そうして、「この人の『散歩向きだ』と感じる気分は私と同じだろうか」、人はそう思うものです。
 「歩きやすい天気」互いの違いをスリ合わせたくなります。
 
 天気というのはいわば「環境」ということです。歩く際の環境ということですから歩くことと関係がないわけではありません。
 しかし天気の評価とするなら少し考えることが必要な言い方です。
 いったいどんな天気のことを「歩きやすい」と言ってるのだろう、それが知りたくなる。
 
 
 他に挙げれば「歩きやすい街」、「仕事のしやすいオフィス」、「住みやすい家」などなど。
 同じような言い方はあります。
 
 なぜ歩きやすいと思える街なのか、どうして仕事がしやすいと感じるオフィスなのか、住みやすい家とは、つまり「住む」とはどういうことなのかということになるのです。
 つまり形容自体の中味、その本質が重要になってきます。
 
 すなわち「街」や「オフィス」、「家」、これらを形容するというより、「歩きやすい」という形容を深掘りさせる表現だと言えます。
 「仕事がしやすい」とはどういうことか、「住む」ということはどういうものだと言いたいのか、と。
 
 どこが?
 だからそう聞きたくなる。
 その本質を問いかけたくなるわけです。
 
 これが婚活での会話だったとしたらどうでしょうか。
 「私は思いやりのある関係がいいと思ってます。」
 え? 思いやりとは、どんな風に?
 そうなる。
 なんとなく分からないでもないですが確認したくなる。
 二人でそれを探すことになる会話のとば口です。
 

 

「重箱読み」と「湯桶読み」

 これは類型化できるのではないか。すなわち話のとば口の三類型ということです。
 しかしいったいそれが何の役に立つのか。
 3つのパターンがあるとしたところでどんな役に立つのでしょうか。
 

 はて?
 どこかでとても似たような話があったはずですw。

 これにそっくり似たもので「重箱読み」とか、熟語の分類というのがあります。しかもなぜ分類されているのか世間ではあまり理解されてはいません。
 
 「音読み+訓読み」の組み合わせで読む二字熟語を「重箱読み」と呼びます。
 読み方は「じゅう」と「はこ」です。誰しも子供の頃に習ったことだと思います。
 
 反対に「訓読み+音読み」で読む熟語を「湯桶読み」と言います。
 「湯桶」は「ゆとう」と読み、 「ゆ」は訓読み、「とう」は音読みです。どちらも食卓に関することです。
 
 「熟語はこんなタイプ分類ができるのだ」と、子供の頃にみなが習ったものですが、しかしこの類型を知っておく意味について果たして理解していたでしょうか。
 なぜ熟語をこんな風に分類するのか、それで何の役に立つのか、ということです。
 ちょっと理解されているかどうかは怪しいのではないでしょうかw。
 
 別に言葉の世界は面白いとか、熟語の読み方の傾向やその偶然を楽しんだわけではありません。
 そんな風に教えようとする教師が多かった記憶はありますが、落第ですw。
 
 
 これは我が国のいわば「言葉に関する自意識」に関わること、「人に伝えやすくするためにしてきた工夫」ということです。
 
 我が国の漢字は中国の漢語をそのまま取り入れたものでした。もともと我が国にあった言葉を漢字に当てはめて読ませたものが訓読みです。
 
 漢語のまま発音し読み下せば音読みということになります。「教育」、「数学」とかw。
 しかし漢語の音読みだとそのままでは意味が分かりません。意味が通じているように思えるのはあくまで「慣れ」です。
 漢語そのままの熟語なら「音読み+音読み」です。意外と筆談じゃなくても中国人には通じるw。
 
 我が国の独自の言葉だというなら「訓読み+訓読み」となります。「朝日」とか。
 もともと我が国にあった和語を漢字に当てはめたものですから意味はすぐに分かります。もちろん中国人には通じません(笑)。
 これが組み合わさったものが「重箱読み」と「湯桶読み」などと分類されているわけです。
 

言葉の変遷


 言葉のことですから、時系列でハッキリそうだとは言えませんが、だいたいのイメージです。

 
 まず漢語表現というのがあって我が国に持ち込まれ、それは「音読み+音読み」でした。それは漢語そのものでした。
 
 続いて「訓読み」として漢字に日本語が当てはめられるようになると、熟語としては意味の通じにくいものを補足するように後ろの漢字を訓読みするようになります。
 
 「箱」という文字は「そう」と読むのですが、骨董屋がそんなことを言います。重箱を数える時は「いっそう、にそう」なんて言う。
 だから「百葉箱」は「ひゃくようそう」というのが正しいのですが、分かりにくいというので今は「百葉箱(ひゃくようばこ)」でも間違いではありません。訓読みにして通りやすくしたわけです。
 
 まず漢語、つまり音読み、そして訓読みの順番で意味を通じさせるようになりました。
 これが「重箱読み」です。
 実際、平安時代などの言葉は重箱読みが多かったんだとか。
 
 そして次に、だんだんと言語表現が深まるにつれて日本語も図々しくなってきてw、何も漢語を先に優先させなくてもいいさと、漢語の音読みを後ろに回すようになります。
 それが「湯桶読み」ですw。
 
 
 もちろん、熟語がそんな風に整然と「進化」していったわけでもありませんし湯桶読みですべての熟語が凌駕されてしまった訳でもありません。音便で調整することもあったでしょうからバラつきはあります。
 
 
 ただ、例えば、「かがく」と聞いたら「科学」なのか「化学」なのか「歌学」なのか分かりません。だから「ばけがく」などと言うようになります。
 こんな言い方をするようになったのは近代のことです。「湯桶読み」です。
 
 「しりつの小学校」と言ったら金持ちの「私立」なのか庶民の「市立」なのかが分かりませんw。
 だから「わたくしりつ」と言ったり「いちりつ」なんて言うわけです。
 
 「ハンをお代わり」なんて通じません。
 だから「ごハン(飯)をお代わり」と言います。 ならば「飯(メシ)」の方が通じる。
 
 
 音読が最初なのか訓読が最初か、熟語にそんな違いがあるのは相手に通じさせようとする工夫だということ、つまり紛らわしい熟語なんだということ、それを知ことができます。


 熟語がどんな風に漢語から変化していったのかを知るということです。
 もちろん、他に読み間違いをしないということもあったでしょう。
 熟語として意味が通じやすいようにしたのだ、と、熟語にはそういう分類ができると教えたのです。
 

 子供の頃には「これは何読みか」なんてテストの出題になったわけですが、重箱か湯桶かを頭に叩き込んでもそこに意味はありませんでした。
 湯桶読みの方がやや新しい熟語表現であり、すなわち言葉自体も新しいということ、すると定義には曖昧さがある場合があること。
 そのための分類、区別なのです。

 

 新しい言葉にはまだ定義に曖昧さがあります。
 私立(しりつ)と言いますがそれは誰のための「立」なのか、誰かによって建てられたから私立なのでしょうか。公立の組織でもその由来や開祖がいる場合もあります。
 言葉としてはまだ曖昧です。
 
 すなわち、こういう「重箱読み」なんてことを教えられたら、日本語は漢語と和語が渾然一体となっていることを理解するべきだったということです。
 

形容表現の三類型と特徴

 さて、それでは最初の会話のとば口となる形容表現の三つのタイプです。
 話のとば口としてはどうなのでしょうか。
 重箱読みと湯桶読みのように、形容表現を類型化することでどんな意味が見えてくるのでしょうか。
 
 それは会話の流れを決めるものです。
 それぞれのタイプでは会話の方向性が違ってきます。

 
 話のとば口とは会話のキッカケの最初に出てくる言葉で゛す。
 それはまさに最初にクチを開いた時の言葉です。その言葉をどう選ぶかで会話の方向が決まるということです。

 その特性を捉えておけば例えば婚活など時間や機会など制約の多い場面でも有意義な会話が出来るのではないか。
 私たちはコミュニケートする言葉を話す動物として会話がどう動きやすいか、会話のとば口の特性について知っておいたらいいのではないか。
 私はそう思うのです。 

 どうか。
 1.「歩きやすいパン」、2.「歩きやすい靴」、3.「歩きやすい天気」ということです。
 
 これにはやはり「重箱読み」などと同じように、相手と話をしやすくするための工夫がそれぞれにある、それがアタシの試論です。
 
 分かりやすくこのタイプを言えば、1.「説明に入るための表現」、2.「主張」、3.「形容自体の考察」とでもしたらいいでしょうか。
 
 んんんーw。
 あんまりシンプルな分類の呼称ではありませんねw。
 では言葉を変えてみましょう。

 

 「セールス表現」、「貼り紙表現」、「課題表現」としたら、どうでしょうか。
 

 「セールス表現」

 「セールス表現」では、まずは説明をさせてくれと、そのとば口から人を呼び込もうとするところがあります。
 自分の方に呼び入れる感じです。
 主格であるそのパンについて、あるいは婚活のケースで言えばその人自身のことについて、説明するためにまずは謎解きをかけるわけです。
 
 すると話はその論理が重要になります。
 その論理性に違和感を持たれると「チンプンカンプンな人」ということになってしまいます。
 あるいは「極端な言い方をする人だ」なんて、インチキ臭く聞こえてしまったりします。
 困りますw。
 
 こういうやり方は押しの強い人がよくやりがちなことです。
 こういうのを「生理的に受け付けられない」そんな風に感じる人もいます。注意したいものです。
 
 ただ、もし理解してもらえば会話の世界は広がるものです。
 謎解きが分かってもらえれば楽しく感じます。
 「聞き上手」の人にはこんなやり方がいいかも知れません。
 積極的にこちらに入り込んでくれ、分かってもらえば「気付き」は強い印象を残すものです。
 

 「張り紙表現」

 これはいわば店頭の商品に貼られたPOPのようなものです。
 
 シンプルに見えますしキャッチフレーズのようでもあり、明朗快活です。
 ストレートですし波長が合えばとても気持ちのよい会話がきっとできるでしょう。
 
 しかし有無を言わさない一方的な決め付けがそこには隠れています。
 よく考えてみればそんなことをわざわざ言う必要があるのか、と、図々しさや傲慢ささえ見えてしまうこともあるかも知れません。
 
 結局は当たり前のことをわざわざ言って他の靴をクサしているのです。他の人と自分は違うのだと人を批判しつつ自分はいいのだという主張をしているのです。
 
 これを嫌う人もいます。
 実直さには盲点があります。多少ヒネクレていた方が可愛気があるものです。
 
 そして婚活なら特にそうですが、こんなとば口で始めると会話の方向がその人のことに絞られてゆくことが多いものです。
 ついついその人だけの話になりやすい。ありがちです。
 だから「あの人は話すのは自分のことばかりだ。」そんな誤解を受けることにもなりやすいものです。
 

 「課題表現」

 最後のこれは形容自体を考えさせるものです。
 そもそも何かについての直接的なお話ではありません。
 表現自体がちょっとした疑問が湧くまるでお題のような投げかけになっていて、それを相手と話し合うことになります。
 
 「歩きやすい」とは言うけど、そんな気分というのは実際にはどんなものだろうか、と、お題を投げかけるのです。
 その形容自体に対する認識の差を知りたくなり本質的な疑問が自然に生じることになります。
 
 それはまるで子供の頃のグループ学習やグループ研究の課題のようなものです。
 二人して額を付け合ってそのテーマを話し合って考えるわけです。
 そうした共同作業は二人の距離を縮めます。
 
 ただ互いの教養が試されてしまうことになります。そして相手がノッてこなければ話にもなりません。
 ヘタをすれば「面倒臭い人」ということにもなりかねません。
 一緒に考えようとしてくれなければ「理屈っぽい人」という印象だけを受けてしまう場合があります。
 あまり教養のない人、何でも簡単に考えたいという人が相手だと苦労するかも知れません。
 



 こうして分類しておくと、会話の方向をどう進めたらいいか、そのヒントにはならないでしょうか。
 もちろんどれが正解だというものはありませんし、相手によって使い分けるのも大変なことです。
 第一、それぞれの人の個性に適した「とば口」というのはあると思います。
 いつものご自分の話し始めのタイプはどれだろうか、と。
 
 自分の性質を知っておくのは悪くないと思います。
 だから自分はどのタイプで話を始めることが多いのか、それを考えてみるのです。
 
 まだまだ深めれば研究の余地はあるかも知れませんが、まずはここまでが私からの最初の試論、投げかけですw。
 
 会話を始めたり、そのテーマを見つけるのはなんとかできるものです。「こんな話題から入ってゆきましょう。」とは言っても、言うのは簡単です。しかし結局は最初に切り出す言い方が問題になるのではないでしょうか。
 その最初、「とば口」なのです。
 
 これを考えることで、会話を広げたり会話の方向を見失わないヒントになると私は思うのです。
 「冗談めいた軽い話だけだった。」、「プロフを見れば分かるのに自己紹介で終わってしまった。」、「趣味の話で無意味に盛り上がっただけだった。」そんな婚活でガッカリさせられるパターンでなかったのなら悪くはなかったのです。
 
 せっかく会話のとば口はよかったのに、もう少し注意してもよかったのではないか。
 「何かを売りつけられるのかと思ってしまった」、「自分のことばかり話す人でこちらは何も言えなかった」、「話すのが面倒臭くなってしまった」なんてのはよくある婚活の反省の弁です。
 ここまで読んでこられてきて、これまでの成果のない会話になってしまった失敗の理由も見えてくるのではないか。
 
 以上、こんなことを期待して今回はお話しをさせていただきましたw。
 

おわりに、余談、間違って名前を呼ばれた時の反応


 最後に余談にはなりますが、こういう「会話のとっかかり」、「話のとば口」、その大切さと同じとまでは言いませんが、人によって興味深いタイプの違いがあることを指摘してみたいと思います。

 
 それは「間違った名前で呼ばれた時」、これに対するその人の反応です。
 
 苗字でも名前でもいいのですが、間違って名前を呼ばれたり誤読されたときの反応のタイプです。
 
 例えば「芹沢」と言う人がいるとして「せりざわ」なのか「せりさわ」なのか。
 濁るのか濁らないのか。
 あるいは鴨沢とか、完全に間違った名前で呼ばれた時の反応でもいいのですがw、
 
 1.いくらかでも不愉快に感じてしまう人
 2.よくありがちなことだと許してくれる人
 3.どちらでもいいと気にしない人
 
 
 1.の人が一番やりやすい人です。
 程度は違うでしょうがタイプとしてはこれが一番多いタイプです。
 親しくなりやすい。婚活では急速に接近できるタイプの人です。
 
 2.の人には自分があり過去があり周囲の人がいます。二番目に多いタイプです。大人です。
 
 他人に振り回されにくい人が多いですから、こちらを気に入ってくれないとなにしろ話は始まりません。そんな人です。
 
 3.の人はやりにくい。どうして婚活を始めることになったか分からないほどかも知れません。
 頭がいい人に多いタイプですから難しい。
 
 どうか。
 
 まあ、こんな人によるタイプの違い、その類型はまた別の機会に。
 
 少なくとも、こんなことにしても「血液型占い」のようないい加減なものよりはずっと使えるものだと私は思っています。
 どうぞご参考ください。
 

 
 


 by 婚活係長


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