家内の母、つまり私には義母ということになるが、彼女とはこのところちょっと疎遠になっている。
気不味くなったようなことは何もないのだがほとんど挨拶をしていない。
もともと機嫌を伺うような電話ぐらいしかしなかったがほとんど連絡をしなくなった。
義父が亡くなって、義母はがんを患い、具合が悪くなって家内が時々実家に様子を見に帰っているのだが、私はそれを見送るぐらいだ。
向こうの家族のことはそっとしておこう、私はそんな遠慮した気持ちでいる。
どうも男の方からすれば嫁の親とはあまり上手に付き合えない、それが普通なのかも知れないと思う。
私の父もそうだった。
母の実家のことはとうに知らず、付き合いも縁さえ全くなかったものだ。私は母方の祖父は顔さえ見たことがない。
父が亡くなるまで、また亡くなっても母方の親戚などとは一切の縁はなかった。男は妻方の実家には寄り付かないのが多いのかも知れない。
私にしても、最初は家内と暮らすようになって、「親知らずで子知らず」の自分からすれば「新しい家族ができた」なんて思ったものだ。
できるだけ向こうの義実家と打ち解けようとしたものだったが、それはママゴトのようなものに過ぎなかった。
挨拶を電話で交わし、お加減を言い、こちらは夫婦何事もなく平穏であるなんてことを報告する程度だった。
しかし家内によれば「育ち方も分からぬ変わり者」、私はそんな評価を実家から受けていたらしい。
あまりよくは思われていなかったというわけだ。
これは最近、家内が酔った時に私にそっと教えてくれたことだ。
別にそれでヘコみはしない。200年を遡る家系はあるが縁など切れてしまったし、家内と違って私の印象は違うものだろうと思うからだ。
それに私は家内と一緒に暮らしているのであって実家に快く受け入れてもらうなどとは虫のいい話ではないか。何も養子縁組をしたわけでもないのだ。
義母は患っていることもあるしそういう煙たいところもあるだろうと、だからちょっと馴れ馴れしくならないよう今は注意している。
まあ末期がんなので今更という感じではあるのだが。
男性からすれば義母や義実家というのはやはり縁遠いものかも知れないと思う。
そこへいくと女性の方はなぜか夫方の実家には近い。
子供の頃、母も父方の実家によく私を連れて寄ったものだった。母は祖母に対していつも戦々恐々としていた様子だったのを思い出す。
不用意なことをすれば叱られる、祖母からは不埒な女だと思われているような、そんなことを用心しているような顔をしてた記憶がある。
母の晩年、私は親族から祖母の若い頃の写真をもらった。何かの機会で母と会ったことがあって私はそれを見せたことがあった。
すると、母は怖気をふるったような顔をしてその写真を憎々しげに見たものだ。
そういう確執がやはりあったのだなと私は推察した。
因果だからか、同じように母もまた家内に近づこうとしてきたものだった。
私と家内は式など挙げてはいないが、私が家内と暮らしていると聞きつけるとやたらと連絡を取ろうとしてきた。縁はとうに切れていた。
私は家内を守ろうと思い、母と付き合うことはせず家内を遠ざけたものだった。電話口にも出さなかった。
どだい私の場合、親子の間でたいした縁があるわけではなかった。家内もそれで拘りもなく穏やかにしてこれた。
こういうのは家督相続や男性優位という昔からの因襲の影響かも知れないが、そうでなくても奥方が夫方の実家に近くなってしまう傾向はあるのかも知れない。その気苦労はよく聞くことだ。
夫の場合とは違って妻はいやおうなしに義実家との付き合いを余儀なくされるケースが多い。
もちろん他人同士だから色んな摩擦は当然に起きる。
だから「嫁いびり」だの「嫁姑の確執」だの「義実家の嫁の陰口」だのと、昔から飽きもせず世間では色々と言われてきたのだろう。
それに対して「夫が舅とソリが合わない」なんて話はほとんど聞いたことがないw。
お互いに男同士、せいぜい他人行儀にして距離を保っているものだから世間的にほとんど目立たない。二回だけ義実家に行ったことがあるが酒を酌み交わしただけだ。
亡くなった義父も陰では私を胡散臭い奴だと家内に話していたそうだが、亡くなるまで家内はそんな話をすることはなかった。結局、私は義父の墓にも参ってはいない。
結局、そういう近しさがないのは近くにいなからで、普段から付き合うことがないからなのだとも思うが、婿入りするならいざ知らず、やはり近くても妻方の実家との縁は夫の場合は薄いままなのではないか。
できたように見えても自然消滅してしまうように思える。
ではなぜ一方の妻方はそんな義実家との付き合いを否応もなくさせられてしまうのかと言えば、むしろ核家族化だからだろうw。
息子夫婦と離れて暮らしているものだから気になり、わざわざ様子を窺ってくる。そうしてあれこれと妻が義実家から意見されたりして衝突が起きる。それは妻側にとってはストレスだ。
昔はそれほど嫁と姑の確執なんて話は聞かなかったものだ。昔なら否応もなしに必ずどちらかの家族の一員となって家に入っていった。
そうなればいわば姑にとっては嫁は自分の新しい跡継ぎのようなものだったはずだ。
そこで受けるストレスなど生徒が教師を畏怖するのと変わらない。よく聞くような深刻なものではなかったろう。
わざわざ遠くから顔を見せに妻でございと出向いたりするもんだからストレスになる。
今はそういう家督というものは表面的なものだが、逆に古くからの建前的なことや世間体がモノをいってしまうのかも知れぬ。
夫の立場は家督相続であり、妻である女性は子を作るものだ、と。
その束縛が強ければ離れて暮らす夫婦二人ともムキになってしまい、互いの独立を守ろうと妙にチカラを入れてしまうことになる。
いわく「夫の実家の世話になどならない」、「なりたくない」、と。
そうして共働きを続け二人で豊かな生活を目指すことになる。そうなればどうしたって子作りなんてできなくなるものだ。
「ジェンダー」なんてことが盛んに言われ、あまりに男女同権に偏ってしまったものだから少子化が進んでしまったのではないか、私はそんなことを思わずにはいられない。
なぜなら「男女同権」なんてものは欺瞞でしかないからだ。男女で生物学的な差はあるものだし、そもそも男は子供を産めない。
そういう当然の性別の差を「同権」なんてヒトくくりにしてしまった故の不幸があるのだと私は思っている。
それはともかく、「義実家」というのは夫方妻方ともにあるわけだが、そうしたジェンダーがあるがゆえに男は適当に距離を置けるものだ。
そこが妻方からすれば「ズルい」ということになる。
それもまたストレスになることだろう。
いわばそれは「ジェンダーの克服の裏返し」だ。結局は「ジェンダーによる一方的な不利益が女性にある」ということになってしまう。
夫婦のあいだで、夫の方は義実家とは疎遠でもそれは当たり前で、妻は義実家にいつも寄り添わねばならない、顔を見せに行かねばならないとは。
つい前日、たまたま私はがんを患っている義母に電話したことがあった。
義母は心細くなって家内を実家に呼んだ。
家内が電話に出るかと思ったら、家内は出かけていて義母が出たのだった。
「お加減はいかがですか。どうぞお大事にしてください。」
「ああ、はい。ありがとう。そちらに不自由かけてすみませんね。」
「いえ。私もご家族だけで寛がれたらと、特に連絡しませんでしたが・・・。」
「ああ、ありがとう。」
なんて話だった。
最後は私からの遠慮の気持ちを伝えたつもりだった。
むやみにそちらの家族のことには立ち入りませんよ、と。私の真意が義母に伝わったのかどうかは分からない。
しょうがないことだと私は思った。
何も無理をして付き合ったりして近しくなることもない。もともと距離があり核家族で別に暮らしているのだ。
義母にしてみれば終末が近づき実の娘と穏やかな時間が過ごせたらいいと思っているのではないか、私はそう思っている。
アカの他人の私がどうこう顔を見せるのも邪魔くさいのではないか、義母が患っているだけにそんなことを思う。
そうして婚活のことを思えば、男性の方に親族や親がいなければ女性には楽ではないかということ。
ジェンダーの克服なんて個人レベルでムキになってもやはり世間的には古い価値観が残っているだろう。どだい少子化で困るというならジェンダーなど克服すべき問題でもない。
しかし熟年で、夫方に身寄りがなければ無理して妻が義実家に合わせたり顔を見せるような必要もないのだ。
家内はその点では恵まれている。家内はそんなことにかかずらう必要はない。
そうすると婚活でも男性に近い親族や身寄りなどない方が有利なのではないか。
ましてや熟年ということになれぱ尚更ではないか。
高齢の義両親がいたりすれば確かにハードルになるような気がしないでもない。
もし介護なんてことになったら何のために熟年で婚活したかということになりかねない。
「自分の実家とは付き合いはない。」そんなことが言える男性なら女性は楽なはずだ。
もう若いわけではない。わざわざ新しくそんな苦労に手を出すこともないはずだ。
男の側はいい。女性の実家にはあまり関わらないものだ。夫はそんなスタンスでいいかも知れないが、まだまだ女性の側は義実家と関わって当然という風潮は残っている。
婚活の前の身辺整理、とりわけそれは男性の側に必要なことかも知れない。
自分の実家との付き合い方にケリ、何らかのケジメをつけておく必要があるのではないかと私は思う。
もし義母が亡くなったら私はどうするだろうか。
義実家は遠方でもあるし私の場合は、また義父と同じようにそのままになるような気がしている。