女子には「キレイ」って言わないとダメ

男女の気持ち色々

男子の戸惑い、女子のイラ立ち

 今回のこの問題は男子には「鬼門」かも知れません(笑)
 実に多くの男子、夫、恋人。ほとんどの男性たちが悩むことだからです。
 逆に悩みも引っかかりもせず、シレっとしていられるような男子がいたらそれは「タラし」か「遊び人」、信用ならない男性かも知れませんw
 
 それは女子は男子から「キレイだね。」と、そう言ってもらいたいということです。
 そうして男子は「キレイ」、この言葉を使うことに戸惑う。どこか引っかかってしまうのです。
 
 男子は戸惑う。女子はなぜ言ってくれないかとイラ立つ。
 
 「かわいい」じゃダメなのです。
 女子にはあくまで「キレイ」という言葉こそが大事。
 
 
 「ユア・ビューティフル」、そんな歌が西側で世界的に大ヒットしました。
 あの洋楽が日本でも流行った時、何度も何度も聞かされてウンザりさせられたのは男子だけだったかもしれません。
 女子たちは飽きることはなかったかも知れない。
 
 あの歌が世界的に流行ったというのにはやはり理由があったと私は思います。
 その言葉は女子の琴線に直接働きかけた。
 「キミはキレイだ。美しい。」
 この言葉をもらうことがどれだけ女子たちにとっては重要なことか。
 


 
 そんな女子の気持ちを男子はなかなか理解できません。
 戸惑うばかりなのです。
 「キレイなんて、なんか他人行儀だ。」とか、「そんな言葉は面と向かっては言えないよ。」とか、きっと色々な反論があるでしょう。
 「キレイ」なんて、森羅万象、景色や自然相手なら言えても、付き合っている相手に面と向かってそうは言えるものではない、と。
 男子というのはそんな意識です。
 
 
 ちょっと男子の感覚と女子の感覚は違うのです。
 「キレイだよ」、ほとんどの男子にはこの言葉に違和感がある。
 
 言葉の認識だけでなく男女の感覚には根深い差異があるのです。
 
 

かわいいとキレイの違いは何か

 言葉の定義というのは人それぞれ、実は曖昧なものです。
 気分によって言葉の意味は変わります。男子と女子とでもまたその感覚が違います。
 
 理屈の多い男子、感情が理屈を上回る女子。
 
 例えば「かわいい」という言葉に多くの女子たちが感じているのは「軽い」ということでしょう。
 それは自分たちがいつも感じていることだからです。「かわいい」という言葉は何にでも言えてしまうという言い易さがあります。
 
 だから女子自身に対して「可愛い」という言葉ではモノ足りないのです。
 
 
 「誉めそやされる」ということを女性というのは好みます。
 それは絶対の価値を自分に認めて欲しいからです。女子はそれをひたすら望むものです。そこにキリはありません。際限はない。永遠w
 
 「カワイイ」というのは日頃から女子たちがよく使う表現です。
 すると絶対の重みはありません。
 
 女子自身がキレイという言葉を使う時には自分の感動を表現します。それは男性とほとんど変わりはありません。
 それは風景や自然、目の前に広がる絶景です。
 
 しかし男子に女子が求める言葉はまた自分が使う言葉とは違っているのです。
 女子は自分で使うキレイという言葉と男性から贈られるキレイという言葉を都合よく区別しているのです。
 




 
 ひょっとすると、女子からするれば男子にはそうした感動など湧かないはずだと思ってるのかも知れません。
 自然風景を見て、男子が「キレイだなあ」なんて感じ入る、そんな感情は信じられない、と。
 どうせ男子などセックスぐらいしか関心はないではないか、とwww(笑)
 それだったら自分にこそキレイという言葉を使えばいいではないか、と。
 
 すなわち、男子には相手の自分にこそキレイだと言ってもらいたい、そういうことになるわけです。

 

女子のカワイイブーム

 実際、あれはバブルの頃だったか、女子たちの間で何でも「キャワイイ」なんて言う、そんな言い方がやたらと流行ったことがありました。
 とにかく何でも「可愛い」と言った、何にでも「カワイイ!」と女子たちはしたものでした。
 
 この時、世の中はまだ男性を中心とした「普通の社会」ではありましたから、メディアなんかはこれをして「女性によるなんでもキャワいい珍現象」なんて感じで取り沙汰したものでした。
 今だったらそんなことは言えないでしょう。ポリコレなどの異常な言説が横行している昨今です。変態のオカマが女子トイレに入ってもいいという時代ですw。
 
 しかし、あれをただの女性たちのハシャぎっぷりだったとするのは間違いだったかも知れません。
 女子たちは「可愛い」という言葉を陳腐化させようとしていたのではないのか(笑) そんな可能性も考えられるからです。
 
 それは女子たちの「抵抗」だったかも知れないということ。
 自分たちが頻繁に使うことで自分にカワイイという言葉が向かないようにしていたのではないか。
 
 
 穿ちすぎかも知れませんが女性にはそうした防御的な言動が見られるからです。
 イレズミをしてる女子は異性や肉親からの虐待の経験があったりすることが多いものです。とても怖がりで傷つきやすい女子に多い。
 これ以上汚されないように彼女たちは自分のカラダを墨で汚す。
 汚されてしまった自分を消すかのように刺青を彫りまくるのです。
 
 ガングロギャルなんてのもありました。
 あの道化としか言えないような奇妙な化粧にしてもそうだったかも知れません。
 彼女たちはたむろする渋谷のセンター街で、むやみに暴行を受けることがないように異形の化粧をした、自己防衛だったとも考えられます。
 
 普通に見ればどうかんがえても「チンドン屋」でしかなかったんだからw
 しかしそれは仮面でした。下にはかよわく傷つきやすい乙女の顔があった。
 


 
 ともかく「キレイ」という評価は女子には絶対なのです。
 美しいという価値そのものだと女子は考えます。
 対して可愛いってのは何にでも言える。誰にでも言えるのだ、と。
 赤ん坊にでも言えるしヌイグルミにでも言えるのです。
 
 だから女子たちはさりげなく防御していたのかも知れません。それが大きな流行になったというわけです。
 
 「キレイと言って。」と。
 

男子と女子は違う生き物

 男子と女子の間での認識のギャップというのはあります。
 私は決してこれを否定はしません。男女が同じなんてことはあり得ない。
 
 このサイトは正しく男女のことを捉えようという趣旨のものです。それが婚活にもつながると私は思っています。
 よくあるような「ジェンダー」なんて理屈はいかにもいい加減な概念というものです。プロパガンダに過ぎません。
 男女には差があるのが当然です。人間には男性と女性しかいない。
 こういう当然のことを歪めてきたのがちょっと前までのことでした。
 
 それは狂っていた。
 まかり通すべきではありませんでした。
 だからオカマがしゃしゃりでてきて女子だけの競技に乱入し女子をボコボコにするなんて非道がまかり通ることになったのです。
 
 
 あの異常な事態に黙っていた女子選手やアナウンサーなど「オンナのクズ」もいいところだったと私は思っています。
 私はあまり女性に対して感じたことはないですが「最低のオンナ」っているものだとつくづく感じたものでした。
 
 女性の尊厳が脅かされてるというのに所属団体に睨まれるのを怖れ、オリンピックに出たいからと、知らないフリをし、黙っていた卑怯者がいたのです。
 オリンピック選考から外されたくない、と、イジメやパワハラ、チームメイトに対するレイプにすら黙ってる女子選手がいた。
 
 
 アスリートだのとやってる人間はクズが多いのか。カネで狂う。
 そんなオンナたちはクーパー靭帯が切れてそのうち乳がみっともなく垂れてしまうことでしょう。天罰覿面。
 そうやって邪悪なココロのまま、せいぜいランニングをやってクーパー靭帯を痛めて、若いうちから千切れた干し大根みたいな乳房になって醜いまま人生を過ごせばいい。
 男子のクズってのもたいがいですが、女子の場合は絶望的だと思う。哀れでしかない。
 
 
 ともかく人間には男子と女子しかいないのです。
 そして男子と女子は違うのです。
 トランプ大統領が明言したことは紛れもない真実なのです。
 なぜわざわざ、彼はそんなことまで言わねばならなかったのでしょう。これまでの世の中が狂ってたのです。
 
 
 だからこそ逆に私は女性専用車両を差別とは思いません。
 女子は群れる。そうして女子同士は互いに守り合うものです。
 一方の男子は主導権争いをしようとする。常に諍いが起きます。男子専用車両なんてゲイしか喜ばないでしょう。
 
 こういうことに歯を剥いて怒る男子がいます。
 余裕がないから女子というものを理解できない。ブサメンです。
 そんな男子は杓子定規に「逆差別だ、男子専用車両も用意しろ。」なんて言います。しかしそんなのは子供じみた揚げ足取りに過ぎないのです。
 
 女子には女子なりの扱いが必要です。
 そうでないと生物としておかしなことになります。繁殖もできなくなり少子化は極まって人類は滅ぶ。
 女子は女子らしく扱わらねばならないのです。
 
 それなら言葉にしてもそうすべきと言えるでしょう。
 すなわち女子の求める言葉を男子は選ぶべきだということです。
 
 男子が理詰めで考え、「人間として理屈の合う言葉」などとして使っても、そんなものは女子には役に立たない。彼女たちには響かない。
 



禁句;「誰それと似てるね」

 「君はタレントの誰それと似てて素敵だよ。」
 例えばこれなど女子に対しては絶対の禁句と言っていいものです。
 
 「誰それと似てる」なんて、女子に向かって決して言ってはいけない言い方です。
 「絶対」という価値が女子にはあるからです。
 これに対して男性は比較や相対的なことを考えます。男子は論理的です。しかし女子は違うのです。
 相対的なチカラ比べをしたり覇権を争うような男子とは違うのです。
 
 
 それでいて反面、女子は男子に対してそうした言い方をする場合があります。
 女子は自分たちが言われたくないことでも男子の場合は違うと考えます。
 いわく「タレントのXXXみたい!」と。普通にクチにする。
 
 しかし男子は別に不快とは思いません。むしろ褒めてくれたかと思ってしまいます。
 女子が言われたら心外な話なのです。いい印象など持ちません。
 しかし女子は男子に対してはこういうことを平気で言うのです。
 つまりお互いにチグハグなのです。これが男女の感覚のスレ違いです。
 絶対と相対、これはそれぞれの性別による特性としか言えないものなのです。
 自分の付き合ってる人を「石野X陽子に似てる」なんて、仲間内の話ならいいでしようが間違っても女子本人の耳に入れてはいけないのです。
 しかし女子は男子に向かってハヤす。「マッチに似てるよねぇ(笑)」と。
 


 
 ちょっと脇道の余談になるのですが、亡くなった志村けんと石野陽子の相性のよさは特別でした。あれだけの仲はなかったかも知れません。
 破局してしまったのは志村が子供を欲しがったことだったようですが、志村の死後、AV女優に石野に酷似した人がいて私は驚いたことがあります。
 
 胸も大きくてスタイルも石野よりもよかった。なにしろ若くて笑顔がそっくりです。
 私は「志村がまだ生きてて今、彼女を知ったらたいそう喜んで付き合ったことだろうな。」、なんて思ったものです。
 まるで石野陽子が若返ったような女性と付き合って、志村は念願の子供だって作れたかも知れないのです。
 
 
 え?
 おかしい?w
 そう。これが男子の考え方なのです(笑)
 きっと女子には信じられない言い草でしょう。理解できないと思います。
 「別れた彼女にソックリ」なんて話。「死んだ女房に生き写し」なんてのも落語なんかではよくある噺。そんな話が男子は普通にできてしまうということです。
 
 女子にはそういうことは考えられません。気持ち悪い話とさえ思うことでしょう。
 私も男子です。だから相対的だったり客観性でつい考えてしまうのです。
 男子は気をつけないといけません。
 
 間違っても男性は母親と彼女や妻を比べてはいけないのです。マザコンと言われるのが関の山です。
 しかし「マザコン」って非難してもそれだけじゃない。
 実は女子の心にはもっと激しい怒りが隠されているものなのです。
 

比較されること自体を女子は嫌う

 自分が比較されることを嫌うとは、どういうことでしょうか。
 
 「人間は誰しも唯一無二の存在である」、こんなテーゼが女子の中にはあるのでしょうか?
 
 違うと私は思います。
 女性にとってはこれは哲学的な問題ではないのです。いわばスローガンではないということです。やはり女性は理屈ではないのです。
 
 それは嫉妬。
 自分を上回る名前が挙げられることに対する嫉妬です。
 女性の嫉妬は計り知れません。
 
 自分より上はいくらでもいる、回りを見ればキリがない、そんなのは誰だって分かりきっています。
 しかし女子には自分は絶対なのです。相手に自分は絶対の存在であって欲しい。
 だから他を見てもらいたくない、とにかく他人と比較されたくないのです。
 
 普通の女子だったらミスコンへの出場など忌み嫌うものです。みっともないと白眼視されます。
 時には許せないというほど嫌悪されることもあります(笑)
 同性から軽蔑される。
 潜在的な嫉妬心がそこにあります。


 
 女子に向かって「誰それに似てる」なんて言ってはダメなのです。言ってはいけない禁句なのです。それは較べることと同じなのです。
 
 では男子は?
 これが不思議なことに逆です。
 男子は同じことを言われると喜んだりする。
 マッチに似てるだのトシちゃんに似てるだのと言われると(死語)、その昔は恥ずかしそうにしながらも男子は陰では喜んでたものでした。
 
 あ、このサイトは主に熟年の婚活ということですから、喩えの時代臭さはどうかご勘弁をw(笑)
 
 
 ともかく、こんなことを言われると男子は自分の人気の証拠とさえ感じてしまったりするものです。褒め言葉だと喜ぶ。こそばゆい。
 しかし女子の感じ方は違います。
 だから、たとえ人気タレントであっても男子が女子に「誰それに似てる」なんて言ってはいけないのです。
 
 こういうことに反発する女子の心理を「存在の蹂躙」だの、「人間性の否定」だの、古くはそんな言われ方をして説明がされてきたものでした。
 そうした仮説はあまりに複雑でプロパガンダ的です。あまりに論理にこだわっていてシンプルではありません。眉唾モノなのです。
 
 本質は「女子特有の嫉妬」だと私は思うのです。
 女子というのは男子が自分以外を認めることが許せないのです。
 



男子にとっての公正さという自己防御

 男子というものは何事も公平さがあってのモノ種と考えるものです。
 男性は極めて論理的です。
 それは男性なりの自己防御です。
 
 「公平に」などとつい考えます。そうして他の人を褒めたりもします。それが自分の審美眼や感覚の正当性を保障すると思うからです。
 そうして結論として「そうして俺はお前と付き合ってるのだからお前が一番だと思ってるのだ」などと言う。
 論理的な結論だと男子は考えますw
 
 しかしこれは女子には通じません。
 「公平な態度」なんて女子には分からないのです。ピンとこない。通じない。
 だから「こんなタレントをいい女だなんて言って。較べたりして。」なんて、その態度に時には激高されたりする。
 
 男子には女子の身勝手さが分からないのです。
 そこは覚悟しておいたほうがいい(笑)
 
 「絶対」という価値観が女子にはあります。
 男子には相対という理屈がある。男子はそこからなかなか抜け出せません。
 両者の価値観はなかなか融和できないものなのです。
 
 これを称して「女子は男性に求めるだけ求めるワガママ。男子は女子をつい較べてしまう浮気モノ。」なんて言う。
 男子には共感するところがあるかも知れませんがそれは言い過ぎでしょう。
 
 別に女子は男子に褒め言葉ばかり求めているのではありません。オベンチャラやオベッカ使いを求めているわけではないのです。
 本質的に言えば女子は相手の男子に「覚悟」を求めているのです。
 「キミが世の中で一番美しい。」そう堂々と断言できる覚悟ということです。
 
 それは思い込みでもいいのです。
 「キミは世界で一番美しい。」、そう言え、それをキッパリと覚悟せよ、と。
 まるで宗教です。そういう言い方もまた隠喩的です。しかし間違ってはいません。
 しいて言えばそうした覚悟を見せることが女子にとって男子の「男らしさ」になるのだとも言えます。

 
 しかし男子は違います。
 客観的であろうとつい努めてしまうのです。自分の判断が人の評価に晒されるのを男性は怖がる。それが男子の自己防衛です。
 逆説的ですがある意味では女々しいのです(笑)
 
 他人から見ても納得できるようでなくては男子は困るのです。自分の判断が間違ってやしないか、男子はそれを怖れる。
 しかしそれは女子にとっては大きなお世話というものですw
 自分を絶対として見てくれ、それが彼女たちが求めているものです。
 

女子を教祖とせよ

 すなわち、それは宗教に通じることかも知れません。
 古代、一番最初に宗教的なことを始めたのは女子だったと私は思います。
 卑弥呼という人も女性でした。宗教にハマる女子も多いものです。
 女子の本質には宗教的なものが秘められているのかも知れません。
 
 しかしそうは言ってもそれが男子の習性ではあります。
 何も媚びようとへつらって有名女優を引き合いに出してるわけではありません。順位をつけようだなんて思ってるわけでもない。つい公正さに拘ってしまう。
 そうして言うのです。「キミはウチの姪ぐらいキレイだよ」とかw
 
 親戚の女の子のことだからいいだろう、なんて気を回してしまったのです。それで男子は姪っ子のことを引き合いに出した。
 女子はそれだって許せません。
 じゃあ姪と結婚でもすればいい。そんなことになってしまいます。
 女子はこういう較べるような言い方がとにかく許せない。
 
 
 私の弟が結婚するというので嘲笑のつもりで言ったことがあります。
 別にどうでもいい人間と日頃から言ってきた弟のこと。死のうが生きようが知ったことではないクズです。もはや付き合いはありません。正直どうでもいい。
 で、「おう、さすがは俺の弟だ、なかなかいいオンナを選んだじゃえねか。」なんて私は嘲笑してやったつもりだった。
 レイプまがいのことまでした噂のあるクズ、それが選んだオンナです。それなりの相応しいオンナではないか、私にはそんな理屈があった。
 
 ところが、それがからかいにならなかった。
 家内は怒り出して取り付く島もありませんでした。「イイオンナなんて言った。」と、ただただ怒り心頭。
 今でも根に持って蒸し返され文句を言われることがあります。
 
 「お前はあんなクズに選ばれた女じゃない、俺たちは相応しく結ばれたんだぜ」、なーんて、いくら言っても男子の理屈など通じないのです。


 まったく、落語にもなりゃしないわけです。
 男子と女子にはこんな認識のギャップがあります。
 どうぞご注意を。
 
 
 とにかく思い込みまでいく、それぐらいの覚悟が必要です。
 あたかも宗教の女教祖のように、女子を絶対とすることです。
 相手をひたすらあがめるように誉めそやすこと。美しい、キレイという言葉を言うことです。
 それが彼女たちの満足につながる。
 
 もしそれができないってなら衝突やスレ違いは常に覚悟しておいた方がいいのです。
 見えないところで鬱憤も溜まるでょう。いつ喧嘩してもおかしくはありません。
 
 しかし、こと熟年の新しいカップルとなるとどうか。その労力は大変なものになるはずです。
 もう若くはないのです。なるべくなら避けたい衝突です。
 




 by 婚活係長


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