ちょっと前、「結婚できない男」というドラマが人気になりました。
まあ「前」と言っても、それは十年以上前のことですが(笑)。
主演は阿部寛。
背が高く特徴のある顔立ち、なかなかのキャラが立つ俳優だと思います。
ドラマは今から十年以上前にフジテレビ系列で放送され好評を博しました。
コメディとして面白く、「結婚」というテーマを中心に描かれた「少女マンガ」のようなドラマでした。
人とのスレ違いや誤解、取り巻く周囲との関係の描写、こうしたものを描くというのは、とても「少女マンガ」的だと思います。
恋の駆け引きや気持ちのスレ違いの切なさに女性は共感するものだからです。
このドラマも、他人の結婚観に感じるもどかしさ、すれ違い、そうしたものがストーリーの主な要素となっています。
だから本作の内容としてはあまり結婚とは関係なく、「結婚できない男」というタイトルの意味はその言葉の通りではないと言えるでしょう。
「女性から見て、結婚できそうにない男」という意味だからです。
コミック「東京タラレバ娘」
「少女マンガ」というと、他に結婚をテーマにしたマンガで「東京タラレバ娘」というのを思い出します。
しかしこのマンガはこのドラマとは違った意味で婚活を題材にしていました。
同じようにコミカルな描写が中心ではありましたが、主人公が結婚へ至る物語でした。
こうしたものは、いわば「結婚狂想曲」と言ったらいいのでしょうか、結婚にまつわるエピソードというのはついコミカルなものになりがちです。
「結婚」に照準をすえた人物の必死さ、そのドラマというものは第三者からすると滑稽になりがちなのです。
第三者からすれば、なぜそこまで結婚に必死なのか、そこが面白いのでしょう。
マンガ「東京タラレバ娘」の方は、どちらかというと結婚そのものを舞台としていました。
結婚を見据えた恋愛の成り行き、行き遅れたと自覚する女性が結婚を意識しつつ恋に迷い悩むというドタバタ劇です。
一方、この「結婚できない男」というテレビドラマは、直接は結婚というテーマを扱ったものではないように思えます。
中心は主役の建築家の孤高ぶりや「空気の読めなさ」にあって、結婚というテーマは周囲の主人公に対する人々の目線のいわば尺度として使われています。
いわば周囲の人々、特に女性たちは「結婚観」というものを使って主人公を評価しているわけです。
楽しめるドラマでありますが、結婚観というのを考えさせるところがあります。
続編「まだ結婚できない男」
このドラマは令和の時代になってから続編が作られました。
最初のオンエアから十年以上の月日が経っての続編になりました。
まだ子供だった姪が大きくなって登場するなど、そのまま前作の設定を引継いだ続編となっています。
タイトルは「まだ結婚できない男」というものです。
それにしても、このタイトルからは「結婚」ということを目標にするという自己矛盾、そのおかしさが伺えてしまいます。
なにしろ結婚というのはそもそも、「相手があってのこと」だからです。
「結婚したい」なんて、漠然と言う言い方はおかしいのです。
相手が必要なのですから、それなら結婚というよりまず恋愛、相手次第なはずなのです。
しかしこのドラマはタイトルを「結婚できない男」とし、そこから話しを広げています。
タイトルは自己矛盾したものでもあり、結局、ドラマ内容としては「結婚したいのにできない男」というわけでもありません。
阿部寛が演じる主人公の男性がいます。
ブサメンでもなく、むしろイケメンです。また職業的にも賞を受賞すような建築家、成功した部類の男性です。
つまり、「結婚できそうな男」ではあるのです。
それがなぜ「結婚できない男」に分類されるのか。
この主人公は、よく巷間聞かれるエピソードのように、「結婚しようとして何度もお見合いをしたりパーティに参加して、それでも失敗し続ける男」というわけではありません。
もちろんそんな男性にも似た共通点があるかも知れませんが、ドラマの主人公は結婚に前向きな男性ではありません。
主人公は周囲の女性たちや一般的な結婚観を日々小馬鹿にしています。
そして結婚を意識している周囲の人々に遠慮もなく結婚への疑問を呈するような人物です。彼は常に皮肉と冷笑で結婚を評する。
クチの悪い皮肉屋、つまり「天然系」のネガキャラです。
つまり、もしこの男性を正確に表現するなら、「どうやら結婚には縁のなさそうな男」ということになります。
気難しくて皮肉屋で、とっつきにくく人の気持ちが分からない。
ややオタクで頑固。
外見はそこそこで、社会的地位もあるかも知れないけど、こんな調子では結婚などできないだろう、そんな主人公への周囲の女性たちからの評価がドラマのタイトルということになります。
すなわち、「結婚できない男」と続編の「まだ結婚できない男」というわけです。
タイトルには矛盾がありますが、つまりこのドラマは結婚できそうにないと思われる男性の人間観察です。
よくありがちな結婚観の批判や矛盾を突くような問題提起ではありません。
主人公を見るための尺度として結婚観が使われているというわけです。
タイトルの矛盾とは、「結婚したいならまず相手を見つけてから」、ということです(笑)。
相手もいないのに「結婚できない」では少し無理があります。
考えれば、「結婚したいのに出来ない男性」という男性はたくさんいるものです。
親からの要求だったり、社会的な体面だったり、彼らがいくら結婚に追い立てられていたとしても「相手がなかなか見つからない」それが答えです。
そんな男性はまず出逢いを見つけようとします。なにはともあれまずは出逢いからでしょう。
これに対し、女性というのはどうでしょうか。
婚活中の女性、「結婚したいのにまだ出来ない女性」というのは、相手よりもまず結婚というものが頭にあるように見えます。
それは一途な願望なのかも知れませんが本質を履き違えてしまっているように見えなくもない。
男性からすれば考え方を間違ってしまっているように見えます。
相手を探そうとするのではなく、いきなり結婚相手を探そうとしているからです。
女性や周囲にありがちな結婚観
そうして、このドラマは主人公の男性というより、むしろ女性や周囲の側にありがちな結婚観というものを浮かび上がらせることになります。
それは、女性にとっての「結婚」は男性よりも目的化されていることが多い、ということです。
女性というのは往々にして「結婚ありき」としているところがありはしないでしょうか。
子供の頃に女子がよく言ったように漠然としたもの、「将来の夢はお嫁さん」なのです。
そんな男女の考え方を対比してみると、男女の結婚観のギャップが浮かび上がってきます。
いいところに目がつけられたドラマと思えなくもない。
少子高齢化の今の時期、恋愛や恋の駆け引きではなく、「結婚観」というものをテーマに選んだのは意義深いと言えるでしょう。
「結婚などしたいとは思ってない」という、こんなことを日頃から公言する主人公は周囲の女性たちからは変人扱いされています。
そして女性たちは「結婚というのは人生にとって大事なことなのだ」と反論し、主人公は女性から痛烈な皮肉や非難を浴びます。
ところが、本当にそうなのか。
見ている私たちはそれを考えさせられる。
結婚というものを嘲笑したり軽んじる主人公の態度がちょっと変わっているとしても、相手よりもまず結婚ありきという考え方はどうなのか。
そんなありがちな結婚観への違和感が浮かび上がるところが見どころです。
コメディはペーソスと一体です。
なかなか意味のあるところではないでしょうか。
例えば、古来から多くの人々が結婚について考え方を残しています。
歴史上の人物が多くの言葉を残しています。
それは当事者としてのものだったり、慨嘆であったり、人生訓であったり、発見であったり。色んな言葉が結婚について遺されています。
どれも傾聴に値するものですが、ほとんどが結婚というものを定義している言葉です。
しかし、「女性から見て結婚できそうにない男とはどんな人物か」そんな切り口で遺された言葉は、実はほとんどなかったかも知れません。
それは言葉通りに表れるように、女性には結婚観が異性関係とは別にあって、男女の付き合いとは別物だというところがあるからです。
それは「モテそうにない男性」という意味ではありません。
女性が男性を見て、「この人は結婚などできなさそうだ」とため息する。匙を投げてしまうような男性のこと。
そんな男性を見る女性の目線のことです。
こういうことはこれまでほとんど言われることはなかったのではないか。
不思議とあまり聞かない話です。
女性というものは古来から、「結婚」というものを目的化していることが多かったのに。
このドラマでも女性の結婚観が随所に描かれることになるのですが、あまり説得力はありません。
女性たちの結婚への思い込みに較べ、主人公の結婚への皮肉はなかなか否定しにくいように思えます。
まず、普通の男性の考えからすれば結婚というのは「結果」です。
いいと思う相手がまず必要であり、だからこそ逆に結婚生活がどうなるかで不安になります。「結婚は人生の墓場」だと言った人もいる。
しかし女性というのはそうした考え方をしないことが多い。
「結婚」ということがまずあって、そのために男性を探す。
例えば、いつまでも付き合っている男性が結婚を渋っていたら、いくら相手への気持ちがあっても切れてしまうことだってあります。
それが女性というものです。
そして納得できない運命になってしまうこともある。
こういう態度というのは女性特有の打算なのでしょうか。
しかし女性にとって「結婚」ということがまず第一にあると考えれば、そうとばかりも言えません。
女性には結婚が「証し」となるのだ、とすれば。
男性は「ゴールイン」として結婚を考え、女性は結婚を幸福になるための手段として考えているように思えます。いわば女性には結婚が「スタート」です。
だから「まずは結婚してから」というのが女性の考え方だと言えるかも知れません。
この男女の結婚観の差はどこから来るのでしょう。
もちろん、あくまでこれはステレオタイプの女性と男性の考え方に過ぎません。
もちろん、こういうものも社会的ジェンダーに由来しているものですから、あながち偏見というわけでもありません。
「結婚できない男」というのは「人から見れば」という意味と考えるべきです。
本人は何も気にしてない。主人公は結婚したいと公言しているわけでもない。
しかしそれなら、そんな主人公の皮肉な結婚への考え方を「間違っていることだ」と、諌めなければならないのは女性の側ということになります。
まず結婚してスタートを始めようというのが女性の立場だというのであれば。
婚活中の女性というのは、この「最初に結婚ありき」という自分の考え方について、男性側へうまく伝えられないでいることが多いように思えます。
うまく表現できないでいる人が多いのではないか。そこが悩みの核心ではないでしょうか。
どうしてまず結婚ありかなのか、なぜ結婚してからスタートなのか、それを上手く説明できることが婚活中の女性に必要なことかも知れません。
その答えを見つけることが、女性にとって相手を見つけること、男性を結婚というスタートに連れてゆける条件なのかも知れません。
続々編は「やはり結婚できない男」?
このドラマは令和になって続編が製作されました。
主人公もそのまま歳をとり、「まだ結婚できない男」の周辺には女性がいます。しかしまだ女性の側には主人公を説得しようとする女性は現れません。
女性たちは相変わらず結婚を強く意識しているのになぜか受身のままで、主人公はそんな女性たちの婚活意識というものに気が付きません。
やはり結婚で男性をリードすべきは女性の側ではないでしょうか。
物語もそうしたものになっています。
「結婚できない男性」というのは、女性から諦められてしまった男性でしょうか。 それならそれは女性に責任があります。
むしろ結婚の大切さ、その価値に気付かない男性を振り向かせる努力を怠っているのは女性の側ではないかということ。
そして、結果として孤独で寂しくなりがちなのはいつも女性の側なのです。
女性が努力を怠れば、いつまでも「結婚できない男」はそのままでしょう。
このドラマにはまだ続々編はありませんが、作るとすれば「やはり結婚できない男」となるのではないか。そんなことを考えます。
そして、男性というものは結婚しないことで自らの惨めさに気が付くことはありません。
男性は恋愛志向ではあっても結婚志向という人はあまり多くはない。
それが男性というもので、男性というのは傲慢で自信家でそして教条的な生き物です。
男性は女性ほど成熟したりしない。
そんな男性が成長するには女性の助けが必要です。むしろ包容力が必要なのは女性の側かも知れない。
それがパートナーであり、結婚生活というものだと思います。
今度は、女性が結婚ありきだということを理解できない男性、それを説明しようとしない女性、そんな続々編になるでしょうか。
男性は結婚の本質を理解しているかも知れません。
女性の結婚至上主義は間違っているかも知れません。
しかし、女性を救えるのは男性です。
一方、男性を結婚へと動かすべきなのは女性です。
それなら反対のことも言えます。
男性を説得しようとしない女性にも責任はあるかも知れませんが、そんな風に女性を動かせられない男性も悪い(笑)。
自分のある男性ほど女性を理解出来ないものです。
男性は女性をもっと知るべきではないのか。その点で男性には罪があるとはよく言われます。
ただ一人寂しくなってゆくだけの女性を男性は放置しておいていいのでしょうか。
男性を結婚へと奮い立たせようとせず、女性は待っているだけでいいのでしょうか。
そんな男女の役割、お互いのスレ違いというのが見えてきます。
続々編を作るならそんな切り口がまだあるではないか、なんて想像を逞しくしてしまいます。
ドラマはシーズン1も2も、どちらもなかなか面白いですから、一度ご覧になってはどうでしょうか。
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