お医者さんのうちでも、「歯医者」さんというのは特別なものがあると思います。
歯医者さんのことを考えると「よいパートナーとして相手にどんな風に気遣いをすべきなのか」、そんなポイントが分かるような気がします。
歯の治療では、いちいち麻酔を打つわけにもいきません。ですから、患者さんに痛みを与えてしまう場合が多いものです。
だからみな「歯医者さんは嫌い」と言うわけです(笑)。
歯医者さんというのは、もちろんそういうことを知っていますので、患者に痛みを与えるということに気を遣ってくれるものです。それは歯の治療というのは我々患者の痛みを理解しないと治療ができないということです。
もし歯医者で痛くなかったり、よく気をつけてくれる医者がいたらそれはきっと良い歯医者でしょう。
患者さんの痛みが分かる医者というのは、いわば相手の気持ちが分かる人の見本のようなものです。
歯の治療と、人への気遣いができることには共通する同じようなやり方があると言えます。
これは比喩的な話としても、想像すればすぐに分かることです。
歯の治療に限らず、「痛み」などというものは本来は自分がやられてみなければ実際には分からないものです。それは歯医者さんでも同様でしょう。
ですから、「ここは痛いだろう」という、患者さんの立場になって考えることが上手でない歯医者だと治療で痛みを与えてしまうことになります。
他の科の医者だとこういう心配はあまりないでしょう。手術をするなら麻酔というのがありますし、患者の痛みということを考える医師はあまりいません。
たいていの医者というのはまず治療を優先します。患者さんの愁訴、痛みの訴えにはあまり真剣に向き合ってくれない医者というのは意外と多いものです。彼らは知識の中で症状を観察して、検査し推測し、そして治療という答えを出すだけだからです。
歯医者さんというのはご自分の治療の経験で患者がどんな時に痛みがあるかを考えて治療するものです。そうして用心しながら治療をしてくれます。でないとビックリした患者さんに指を噛まれてしまうかも知れません(笑)。
患者の立場に立ってどう痛くなるのか分かろうとするか、他の科の医者では患者の痛みを理解できるお医者さんというのはあまりいないように思えます。
これは結局、人の気持ちが分かるかどうか、ということにつながる話です。
よく「人の気持ちになれる」などと言いますが、言うのはたやすいことでもやはりそれは難しいものです。
ご自分が歯医者にかかったことを考えてみればいいのです。こちらの痛みをちゃんと分かってくれるような歯医者さんのように他人に接することのできる人が理想です。そんな風に考えるといいかも知れません。
痛い歯医者さんのような人はパートナーとしては最悪かも知れません(笑)。痛くない歯医者さんは伴侶としては理想的でしょう。
しかし世の中は歯医者ばかりではありませんから、これは比喩でしかありません(笑)。
そうだとしても、人の痛みを分かるコツというのを考える時、歯医者さんのやっていることを考えることは役立ちます。
例えば、具合が悪いときに、職場でもどこでも「大丈夫?」なんて聞いてくれる人がいます。こういう人は、意外と人の気持ちが分からない人に多いのではないでしょうか。
確かに様子や表情を見て声をかけてくれ、気遣いはしてくれているのかも知れませんが、相手が何がツラいのかはチンプンカンプンと言う人がよくそんな言葉をかけることが多いように思います。
だから行動が伴いません。結局、「話してくれないと分からない」ということになってしまいます。
大丈夫でないから苦しい顔、ツラそうな表情をしているのです。我慢をして自分ひとりで抱えていたりすることさえあるものです。「大丈夫?」というだけで終わりになるわけがないのです。
歯医者さんは治療をしながら痛くないか聞いてくれます。これは実際に相手に助けの手を差し出しながら「大丈夫?」と言ってくれる人ということです。
例えば熟年となれば体の不調も若い頃よりも多くなります。更年期ともなれば何かとツラいことが多くなります。それを支えてくれるなら何かをしてくれたらもっといい。体をさすってくれたり水を飲ませてくれたり、マッサージをしてくれたり。
歯医者さんの診察台では、口をゆすぐ水は少し温めになっているのが普通です。その理由は「冷たい水だとしみる」からです。ちゃんと歯医者さんは現実の方策を取ってくれています。
これがパートナーだとすれば、悩みを打ち明けているときにツラくないように笑っていてくれる人、明るい雰囲気を作ってくれる人ということになるでしょうか。
落ち込んでいる時にじっくり話を聞いてくれるのは若い頃ならよい相手かも知れません。治療に専念する外科医のように対応してくれる相手は良いパートナーなのかも知れません。しかし熟年となればこれからの人生の後半、先の見通しが明るいと笑ってくれる余裕があった方がいい。心にツラさが浸みない方がいい。
こんな風に、ちょっとした気遣いができるかどうかと言っても、実際に行動に移せるのと、ただ気遣ってくれることとはまるで違うものです。
それは若い人同士ならいくらでも誤魔化しようがあるでしょうし元気でカバーできるかも知れません。しかし熟年となれば「寄り添うこと」が大事になってくるということはよく言われることです。その寄り添うためにはどうするか、痛くない歯医者さんを考えることはヒントになると思います。
人の痛みが分かるということは、人の気持ちが分かることであり、人の喜びが分かることでもあります。そして相手の憂鬱も歓喜も、全てを共有して分かち合える人ということです。
そんな人であればきっと信頼でき、パートナーとして一緒に過ごす意義があるのだと思います。熟年となれば若い人同士の関係とはまた違ったものになってゆきます。子作りやセックスなどよりももっと精神的な結びつきの要素が大きくなってきます。その時、どんな風に二人で過ごせれば幸福になれるのでしょうか。
お互いの時間だけでなく人生を共有するのがパートナーというものです。人の気持ちを理解する、それが出来る人というのは「痛くない歯医者さん」のようなものだというのはそんな意味です。
私たちもそんな痛くない歯医者さんのようでいたら、きっとよいご縁になると思います。
相手に何かを求める時、私たちはちゃんと相手にはツラくないか考えているでしょうか。自分が相手から同じように求められたらどんな風に受け止めるか考えられるでしょうか。
私たちはよい歯医者、痛くない歯医者さんのように相手の身になれる態度を身につけるべきです。あるいはそんな相手を選ぶべきなのです。
よく言われるように、「言ってくれないのではわからない」「お互いになんでも話し合うようにしよう」という言い方があります。しかし実はこれはなかなか難しいことです。もちろん、コミュニケーションは大事なことですがそれに頼りすぎることはいいことではありません。
なぜなら相手に率直には言えないことなのかも知れません。私たちの人生にはツラいことも多いものです。ツラい過去もあります。あけすけにそれを話し合える関係は素晴らしいものですがなかなかできることではありません。
ましてや熟年となればどうでしょう。これまで生きてきて、その痛みやツラさはいくらでも身に浸みているものです。いきなりお互いの心の中を見せ合うことが果たして可能でしょうか。
パートナーとのコミュニケーションにカウンセリングやセラピーのようなもの、相手との関係にそうした期待をしてもいけません。そんな関係は疲れるものだからです。
お互いの痛みや喜びを共有するということはごく自然にできる方がいいのです。それは痛くない歯医者さんのように、相手のことを自分のこととして感じるということです。
よい歯医者さんはご自身の治療経験によって患者さんの痛みが分かります。こんな風に削ると痛みを感じるということを知っています。だからそれを避けながら治療をすることができます。
パートナーとの関係も同じようなものです。熟年ともなればこれまでの人生経験があります。その豊かな経験によって相手の痛みが分かるのが理想ではないでしょうか。